映画『茄子 アンダルシアの夏』の感想/紹介記事となります。
黒田硫黄の連作コミック「茄子」を原作として、おおくのジブリ作品の作画監督を務た高坂希太郎が監督をした映画です。
この映画を観ると、むかしわたしが習い事をさぼって、土手沿いを自転車で走っていたことを思い出します。背徳と自由の実感が、すごく心地よかったんですよね、それを自分の意思で選んでいた。
本作は主人公であるプロロードレーサーのペペ・ベネンヘリの意思を描いた映画です。
自分の意思を大切にすることで、自分の過去にも敬意をはらえるようになる。
過去との対峙は、自分との対峙。
辛かったこと、悲しかったこと、たくさんの過去を元にいまからと、これからに開かれていく。そんなことを思わせてくれるんです。
以下に、”意思”をキーワードとして、感想を記していきます。
(※ネタバレを含みます、おおいに執筆者の主観がまじっていることをご留意ください)
(音声はこちら→『茄子 アンダルシアの夏』意思とは過去との対峙)
あらすじ
ペペは「パオパオ・ビール」というチームの選手としてスペインの自転車ロードレース、ヴェルタ・ア・エスパーニャに参加。しかし成績がいまひとつのペペは自分の解雇の話を知ってしまう。さらにレースで故郷にやってきた日は兄とかつての想い人の結婚式で…。
引用:U-NEXT ストーリーより
物語は終盤まで、ロードレースの大会とそれを見守る人たちとで展開されます。ロードレースってこんな感じなんだって知れるのも面白いです。
この大会がペペの地元(アンダルシア)でおこなわれている、ということがポイントです。ペペは地元をよく思っていないんですね。それは何故かということが、本作のドラマ性の部分であります。
ロードレースの映画として、絵がたのしいのもありますが、わたしはこのドラマ性に惹かれます。
おさえておきたいこととして…
ペペ と それ以外の人々
という構図です。
ペペにとってそれ以外の人々はどういう存在なのか、ペペ以外の人々にとってペペはどううつるのか。「1人」対「多数」が、よりペペの意思を際立たせているように思います。
愛と夢
俺は遠くへ行きたいんだ
ペペの台詞です。
遠くへ行きたい、という意思。
なぜ、そんな意思を抱くのか。
→ 地元から離れたいから、ですね。
その原因のひとつに、かつての想い人カルメンが兄アンヘルに奪われてしまったという過去があります。
愛した女性を、兄に奪われたという過去が、ペペの意思につながっている。
ロードレースの大会でも、ペペは集団からゴールを先んじて目指そうと”アタック”しています。このアタックは、”逃げ”とも表現されており、過去から逃れようとするペペの意思と重なります。
よりによって、地元で行われる大会が、カルメンとアンヘルの結婚式の日に行われています。ロードレースの大会を繰り広げながら、傍では結婚式が行われている、ペペはやるせないでしょう。
しかし、ペペが力強く美しくも描かれていると思うんです。ロードレーサーとして必死に戦っているからですね、ペペにとってそれは夢そのものです。
ペペとアンヘルは子どもの頃から自転車が好きで、どちらも選手を目指していた。でも、アンヘルは選手を諦め、ペペがその夢を実現させた。
アンヘルとカルメンの結婚 ⇒ 愛に生きる
ペペのロードレースの大会 ⇒ 夢に生きる
「愛」と「夢」を奪い合った、ペペとアンヘルの対峙の一日が描かれているんですね。
共有しえない意思
ペペの失恋がペペの意思につながっているということを記してきました。このペペの意思が”孤独な意思”として描かれている点も素敵に思うんですよね。あらすじの下の文のところの、1 対 多数、に関わることです。
ペペとそれ以外の人々。
・ペペを応援する
・地元民ネコ
・他の選手
・監督
・スポンサーの人
・アナウンサー
などのことです。
彼らは、ペペの意思を知る由もありません、当然ですね。だけど、応援するし、解説するし、クビにしようともする。アナウンサーが「(ペペが)スポンサーへのアピールのためにアタック(”逃げ”)をしているんでしょうね」というような的外れな解説をしている描写からもわかるようにです。この1対多数の”多数の人たち”をしっかり描くことで、ペペの意思が際立っているように思うんですね。
ペペがどんな意思をもってしてプロのロードレーサーとして活動してきたのか。ペペがその意思を抱くためにどんな過去があったのか。そうしたことを、ペペを除いて、ほとんどの人に共有されるはずがありません。
この「孤独な意思」感がちょー美しい。
やっぱりそうだよね、つらいよね、悲しいよね、ってなる。でも、だからこそ、ロードレースを通して、激しく夢を生きるペペの力強い姿が美しい。
”自転車をこぐ”という動きに、ペペの意思がほとばしっているように見えるんです。現在と過去とがシンクロしている感が、絵的に表現されているように思います。
過去への敬意
ペペ「お前か…」
アンヘル「お前が好きなのさ」
ペペのは、ロードレースの道路に大きな影をつくるバッファロー(?)の看板をペペがみて言うセリフ。アンヘルのは、ロードレース終わりに、アンヘルがペペに対して言うセリフです。
バッファローの看板
⇒(ペペにとっての)過去の象徴
と解釈できます。
地元ですから、むかしペペが何度も通った道にある看板。それは、ペペの過去を思い起こさせるものです。ペペの失恋を代表的に、いまのペペの意思をつくりだした過去をみて、「お前か」なのだと思います。
リード文に、この映画はペペの意思を描いた作品と記しました。この”意思”というものは、過去から生れるものなのではないでしょうか。ペペが遠くへ行きたいのは、過去から逃れたいと思っているからです。ただ、ペペがペペである以上、過去からは決して逃れられない、自分との対峙は避けられない。そういうことを思わせます。
しかし、それは同時に美しいことでもある。
過去のおかげで意思が芽生えるのだから。
そして、その意思を貫徹さえしていれば、いつの日か過去に感謝することができる。過去への敬意がうまれる。
兄アンヘルのセリフは、ペペの過去も好きと言っている。ペペもそれにこたえるように、茄子を最後に食べたのでしょう。
まとめ
ペペの意思を貫く姿がとても美しく描かれた作品です。
ロードレースという激しい戦いが、ペペの強く静かな意思と重なるんですね。だから、よりラストの勝負のところがあつい。
アクションとドラマ性をうまくミックスさせている部分が良きです。
・ロードレースが好きな人
・失恋の経験がある人
・意思の弱い人
・未来が不透明な人
におすすめです。
ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。
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