
顔見知りに愛想を振りまき、役に立たない挨拶をしながら階段をのぼる。いつもと同じ響きのドアを開けて靴を脱ぎ、所定位置に収めてから、敷きっぱなしの布団に沈み込む。半眼で床の模様を追っていくと後回しにして忘れ去っていた段ボールにいきつきやっとのおもいで手をのばし、日用品を取り出していく。ガムテープを剥がすときに生じた音が殺風景を呼び寄せたからテレビを点ける。地上波の通販番組。雑貨をどこに並べようかという逡巡があったから、音楽の代わりにすらならなかった。そもそも死刑を予感させる言葉の羅列が日常にそぐわないのは当然なので、チャンネルを変える判断をしばらく先送りにしていたことに落ち度があったと考えられなくもない。いずれにしても空の酒瓶。捨てる曜日が気になってこのアパートを呑み込む地区の廃棄のルールを確認しようとスマホを点けたが新着メールに注意を奪われプロモーションメールを既読にしていたら何をしようとしていたのかを忘れた。
けれど、生きていたいとおもう理由を、
失ったわけではなかった。
採掘現場の白けた空は、ウエディングドレスのベールのようにたなびき時間を覆い隠していたが、遠くに、小さく、きみは死神ではなかった。夜、ポルト駅の構内でまた見かけて、カフェで再会。やさしい外灯であたためられたベンチにきみと腰かければ、暗く展がる河は雄弁になった。蝋燭に点る火がきみの影を揺らせば、部屋は世界でもっとも美しい舞踏会となった。ポルトの街で、きみと出会った。わたしは、あの一夜に留まり続ける。
最高にすばらしいのさ。
好んでできることじゃない。
過去を手放せない者たちに
ブラジル出身のゲイブ・クリンガー監督作品です。ドキュメンタリー作家として知られ、今作が初の長編劇映画。アメリカのインディーズ映画で人気なジム・ジャームッシュ、尊い“ビフォア”シリーズを残したリチャード・リンクレイターがコメントを寄せており、どちらも絶賛。プロモーションでもあるわけだから、あたりまえですけれど。
今作を鑑賞して感じるのは、物語の主題や制作者側の意図を理解せずとも映画は美しいのだということ。考察や批評、解説が生まれる前に立ち現れる映像の手触り、匂い、余韻。そうしたものの結晶化に、映画の美を求めることを許してくれるやさしい観後感がありました。
ジェイクとマティがはじめて空間をともにする採掘現場。光もなく、闇もなく、霧のベールで時間が混濁した幻想のなかで、ふたりはお互いを目にする。言葉を交わすことも、身振りで挨拶することもない。ジェイクはどこに姿を消したのか。マティはジェイクを追いかけたのか。すべてが映されることなく、過ぎ去っていく。世界が止まり魂が凍える青白い映像でした。豹変。ふたりの一夜の蜜月は、蝋燭の火の瞬きのごとく苛烈。刹那が膨張し魂が痙攣してしまったかのようでした。
過ぎ去った信頼に満ちていく時間を、そっと包み込む映画です。

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