映画『アメリカン・ビューティー』の感想/紹介記事となります。
今作はアメリカの絢爛たる映画祭 アカデミー賞において、作品賞、監督賞、主演男優賞、脚本賞、撮影賞の5部門を獲得した作品です。そして、大学生のころの執筆者に衝撃を与えた映画のひとつ。この映画を観たときに、私が映画に求めているのが人間の美であることを確信できました。
極上のヒューマンドラマを鑑賞したい方に、まずオススメしたい映画です。
監督はサム・メンデス。映画『007 スカイフォール』という傑作を手掛けた方でもあります。ほかにも『ジャーヘッド』や『1917 命をかけた伝令』といった戦争映画、また『アメリカン・ビューティー』に似た作品として『レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで』など人間ドラマに比重を置いた作品まで幅広い題材に精通した映画監督でありますね。新作『エンパイア・オブ・ライト』の公開も控えておりまして、予告動画だけで泣きそうになりました。
この記事では、サム・メンデス監督作品『アメリカン・ビューティー』の魅力と監督に共通するテーマ性についてを記していきます。
ちなみに、タイトルになっている「アメリカンビューティー」は薔薇の品種のひとつのようです。
(※若干のネタバレを含みます。おおいに執筆者の主観がまじっていることをご留意ください)
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あらすじ
郊外の一軒家で妻と一人娘と共に暮らす普通のサラリーマン、レスター・バーナム。しかし会社からリストラを宣告され、娘の同級生に恋をしてしまったことから彼の生活は一変。たがが外れたかのように好き勝手な生活をはじめるが、同時に家族も壊れていき…。
引用:U-NEXTより
レスターをはじめとしたアメリカ郊外に住む平凡な家庭を軸に物語が展開していきます。
”平凡”という言葉が今作を語るうえで重要です。というのも、物語では”平凡”に辟易とする心情を抱えた人物が多く登場するからです。娘であるジェーンの同級生アンジェラ、レスターが恋をする相手ですね。そんな彼女が「平凡な人生ってこの世でサイテー」と口にしています。
”平凡”を脱するべく、”理想”に向け励む人物を描いているんですね。ただ本作の素晴らしさは、そうしたただのサクセスストーリーではなく、”理想”の潰えた先を覗きます。後述しますが、このテーマ性はサム・メンデス監督作品に多く観られる特徴です。
”現実”にこそある美の数々
本作で表現されたものが何だったのか。
それは理想を凌駕する”現実の美”、と私は解釈しました。
物語では”平凡”に辟易として、虚しさを拭うことができずにあがく人物を描き出しています。とりわけ困りごともなく、中流階級において無難な生活をおくっているレスター家。しかし、なぜだか「なんだかなあ」という気分をレスターはじめ、妻キャロリン、娘ジェーンが抱えているんですね。
この気分に身に覚えのある方も多いのではないでしょうか。繰り返される”平凡”な毎日。「惰性」という言葉がピッタリな人生に活力が見いだせない、そんな日々です。
だから彼らは抱きます、”理想”を。
レスター → アンジェラへの恋
キャロリン → 不倫
ジェーン → 豊胸手術への関心
アンジェラ → 部屋の壁を埋め尽くす
芸能人(たぶん)の写真
フランク → 戦利品(軍人時代の栄光)
理想とは、「変化」の希望です。
人生をよい方向へ変化させることができると信じている、希望がある、だからこそ抱ける理想。
しかし、本作で描かれたのが”理想”を抱き邁進する人間の美しさではなく、むしろ”現実”にこそある美をポイントとしているところにこの映画の深みがあります。
理想 ⇒ 「変化」の美しさ
現実 ⇒ 「ありのまま」の美しさ
と対置させることができるかと思います。
たとえば、ジェーンは豊胸手術で自分を良く見せたいという理想を抱いていますが、中盤胸をあらわにするシーンがあるのですが、もう十分豊満なんです。あとのシーンでは、彼女が格上(女性としての魅力において)と認識するアンジェラの貧乳が映されます。劇中に2回胸を映し、対比がなされることで、ジェーンの”現実”は「ありのまま」でも美しい(豊胸を”理想”とするジェーンからして)ことに気づきます。
また、リッキー(後述します)の父フランクが抱える”理想”について考えますと、彼が抱くのは”自分の軍人時代の誇り”でしょう。「昔の俺は…すごかったんだぞ」的なあれですね。家族で自身のビデオテープを鑑賞していたり、銃やナチスドイツの皿など、戦時の骨董品をコレクションしています。過去を自慢するのは結構なことですが、一方でノスタルジアという”昔の理想”から抜け出せない苦しみをも抱えるのではないでしょうか。実際、アメリカの退役軍人のメンタルヘルスはひとつのドラマになるくらい大きな問題でありますし。
このように、行き過ぎた”理想”や”理想”へのとらわれなどを、劇中の人物に背負わせることで、”理想”の弊害を描いているんですね。自分で抱いたはずの”理想”に却って葛藤するという苦しみ。”理想”が潰えること、もしくは”理想”が思ったほど”理想”でなかったことに気づくこと、それは”「変化」の希望”の喪失であります。
そして、剥き出しになる”現実”です。
ただ、悲観的なドラマというわけではありません。潰えゆく”理想”を描きつつも、そのうえで、”現実”にこそある美の数々に人物たちが気づいていく物語なのだと思うんです。
そこでキーパーソンとなるのが、リッキー。
彼は絶えずカメラをまわしています。さながら”現実”の美を世界からかたどるように。
象徴的なシーンが、彼が撮影した「宙を舞うビニール袋」をジェーンとともに見るところ。私はここの場面で、筆舌に尽くしがたい高尚な感動を覚えました。そこでのリッキーの台詞を一部抜粋します。
「~その日、僕は知った。すべてのものの背後には、生命と慈愛の力があって、何も恐れることはないのだと。何も。この世で目にする美の数々。それは僕を圧倒し、心臓が止まりそうになる。」
引用:映画『アメリカン・ビューティー』リッキーの台詞
どうでしょうか。
人生(=現実)がどんなに虚しくとも、人間の美は潰えない
そんなことが、この台詞や彼の言動から読み取れます。
人間はしばしば”理想”にしがみつきすぎて、却って自分を見失ってしまったり、周りの人間関係に悪影響を及ぼしてしまうことがあるのではないでしょうか。その”理想”は本当に自分が求めているものなのか。資本主義社会というゲームにおける優劣へのこだわりやトラウマが転じて生じる不健全な執着ではないのか。往々にしてあり得るそれら可能性を顧みたうえで”理想”を追うのは結構。ですが、もしそうでないのなら、”現実”にこそある美に気づけない人生になってしまう。
その点でリッキーは誠実です。
ジェーンとの対峙のシーン。はなからジェーンの”現実”のみを覗いています。アンジェラから悪口を吐かれようとも、脇目を振らずジェーンを見つめ「君に興味を持ったからさ」「好奇心を持っただけだよ」と自分の”現実”を語ります。この時のショットも秀逸でして、膝や腰から上を映すミディアムショットからクローズアップショットに切り替えてリッキーの瞳を強調させています。これはリッキーが見ているものがジェーンの上辺な言動ではなく、”現実”を覗いていることを印象づける演出だと考えられます。
レスターもまた、”現実”にこそある美に気づいていく過程がありまして、そこがたいへん美しいんです。
はじめはアンジェラによく見られたいがための”理想”のためにフィジカルを鍛えていましたが、身体のみならず精神すらも変化した”現実”になっていく。アンジェラの妄想にたじたじだった頃とは違い、アンジェラとの関係性における”理想”ではなく、自ら見出すことのできる”現実”にこそある美の実感が、レスターの虚しさを払拭していくんですね。
序盤のモノローグで彼は「昔はこんなんじゃなかった」と語っています。そのあとのシーンでも「昔は…」という発言を確認できるんです。
これは、すなわち
”昔”は虚しくなかった
⇒理想的な過去だった
ということ。
そして、上記モノローグに「しかし、今からでも元に戻れる」と続けています。つまり、レスターにとって”理想”とは、過去に既に獲得していたものであったことを映画冒頭から語られているんですね。
”現実”にこそある美は、既にあるものだ、ということです。
すべてのものの背後には、生命と慈愛の力がある、というリッキーの言葉通り、”現実”には既に美が存在していた、している。このことを登場人物たちが気づいていく物語だったのではないでしょうか。
レスターにとってそれは、家族。愛おしいジェーン、そしてキャロリン。終盤にレスターが見つめる写真は、”理想”を圧倒する家族の存在、その美しさだったのでしょう。
詩情
自分の見たいものだけを見ていれば、見るべきものの影がおちる。銘々違える尺度の押し付けは、さながら自分の醜く哀れな心の投影。反射する我が身と向き合えば、悪魔に覗かれているよう。履き違えて歩むその道には、いつしか植えた薔薇は折れ、剥き出しの棘だけが散在している。 それは相克をなす人間の全体性。太陽と月があるのと同じくらい切実で当たり前のこと。だから、大丈夫。世界の美はそれらを共存せしめ、超越し、増え続け、減り続け、ただ至る所にあって、我が身を圧倒する。生命の力はそれだけ偉大。
潰える理想、剥き出しになる現実
サム・メンデス監督作品に共通するテーマが見出せましたので記します。
それは、「潰える理想、剥き出しになる現実」です。
監督の映画では、”理想”に邁進する人物が多く登場します。今作に似た作品として『レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで』があげられます。ある家族が心機一転、”理想”を求めパリへの移住を計画するも、夫の仕事や育児の問題などが重なり、なかなか踏み出せないもどかしさを濃密に描いております。見ていてつらくなるくらい鬱屈としてくるんですね。夫婦役を映画『タイタニック』においてジャックとローズに扮していたレオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットが演じているところも意味深いです。
また、戦争映画として『ジャーヘッド』があります。湾岸戦争に駆り出された海兵隊のドラマです。戦争映画と記しましたが、戦争の描写がほぼないのがおもしろい。彼らは”理想”的な戦争のため辛い訓練に励むのですが、いざ戦時になっても一向に引き金を引くタイミングが訪れない。退屈な”現実”を濃密に描くんですね。ほぼ裸でサンタの赤帽子をかぶったジェイク・ギレンホール扮する主人公がFワードを連発しながら敵襲に喜ぶシーンが爆笑でした。しかし、敵襲ではなく仲間の誤射だと気づき愕然とする。戦争がしたいという逆張りした”理想”をテーマにしているのが本作のポイントです。
こんな感じで、サム・メンデス監督作品では
自らが掲げた”理想”が儚くも崩れていく過程を映しだす、という点が共通しているかと思います。
そして剥き出しになるのが圧倒的な”現実”なんですね。その”現実”を切ないもの、もしくは美しいものとして見せるかは映画によります。『アメリカン・ビューティー』は後者だったのだと思います。
そして、『007 スカイフォール』この映画も外せません。
本作でいえば、”理想”とはMI6の矜持であり、「裏切り」「見限り」といった”現実”がジェームズ・ボンドとある工作員に突き付けられる、という物語としてまとめることも出来るかと思います。
しかし、さすが007といったところでしょうか。”理想”が潰えようとも、年老いて”現実”に限界を感じようとも、テロに荒れ狂うロンドンの道路を駆けるボンド。超かっこいい。イギリスの詩人テニスンの唄も相まって劇中一番盛り上がるシーンです。
とにかく、最高なんです。
まとめ
サム・メンデス監督作品『アメリカン・ビューティー』ならびに素敵なフィルモグラフィを紹介してまいりました。
誰しもが抱くであろう”理想”。この記事ではそれをネガティブにとらえた文章がおおくなりましたが、執筆者である私からしますと”理想”はおおいに歓迎したいものです。人間の”理想”がための狂気的な執念は美しいと思います。映画を観る際のポイントのおおくがそこにある感じです。”現実”の美を蔑ろにしないように気を付けながら”理想”を追う、そんな人生にしたいものですね。
”理想”か”現実”、ではなくて、どっちも!という選択肢も残されているはずですから。
・無気力になっている人
・忙しすぎる人
・深いヒューマンドラマが好きな人
におすすめです。
ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。
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