【ジブリ&実写映画】『耳をすませば』恋とファンタジー、現実との調律

(C)1995 柊あおい/集英社・Studio Ghibli・NH

ジブリ&実写映画『耳をすませば』の感想/紹介記事となります。

実写版のほうは漫画家柊あおいの同名作品を原作とした物語に加え、10年後を描いたオリジナル作品です。

小学生の頃から観ておりましたジブリ版『耳をすませば』に思い入れがあるので、これは観に行かねば!!と意気込んで実写映画『耳をすませば』を鑑賞してまいりました。

音楽に赤い鳥の「翼をください」を盛り込むあたり、私的に超感動でした。

ジブリ版と実写版において共通するテーマを見いだせたので、この記事ではそこを中心にして記していきたいと思います。

原作は未読です、あしからず。

(※おおいに執筆者の主観がまじっていることをご留意ください)
(音声はこちら→『耳をすませば』恋とファンタジー、現実との調律

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恋とファンタジー、現実との調律

さっそくですが、共通するテーマとは、題にあります通り…

恋とファンタジー、現実との調律”です。

ジブリ&実写の『耳をすませば』では、月島雫と天沢聖司の青春と夢が描かれていました。

そして、どちらにも
夢(恋やファンタジー) VS 現実
という構図があるのだと考えます。

月島雫 → 小説家
天沢聖司 → バイオリン職人(ジブリ)

       チェロ奏者(実写)
といった具合に、ふたりとも夢があります。

しかし、その夢に立ちふさがるのが”現実”という問題。ジブリ版のほうでは”現実”に晒されているのは雫のほうで、現実の象徴は雫の「家族の存在」でした。

とくに姉が、夢の世界から現実へ引き戻す役割を担っています。

そして、実写版のほうがどうかというと、そこの部分がより現実的になっているように思います。というのも、雫が文字通り社会人となって現実的な仕事、編集者として日々を送っているんですね。姉に変わって、職場の部長がその役割を担っています。10年後を描くことで、”現実”というものを中学生の頃以上に突き付けられた状況といえますね。

で、聖司のほうは、チェリストとなって夢を叶えてはいるものの…といった感じでしょうか。「なんか違う感」を抱いているもよう。聖司が(雫にとっての)部長のようになってしまっているんですね、「完璧主義」と揶揄されてます。

中学生の頃の雫や聖司が抱いていた、夢・恋・ファンタジーが現実に染まり、以下の言葉を抱く…

思ってたのと違う

この言葉、想いは誰もが抱いたことのあるものなのではないでしょうか。理想を描き、それに向けて邁進してきた、けれども実際は…という境遇。

まえの記事で、クシシュトフ・キェシロフスキ監督の『トリコロール 赤の愛』を紹介しました。
(あわせて読みたい記事→『トリコロール 赤の愛』愛は真実
”真実”を知ることの恐怖をむき出しにし、孤独になってしまうことの必然が描かれた物語です。

人は絶えず理想を描いては、”現実”という名の濁流にのみこまれてしまう。雫や聖司も、この濁流にのみこまれようとしているんですね。中学生の”はじまり”を描いたジブリ版は、希望の満ち始め、お話も明るいんですね。実写版のほうでは、10年後を描いているので、それがよりリアルであり残酷です。

メランコリー、バロンが片割れを待ち続けている状況と重なるのです。

けれど、聖司のおじいさんは「まだ10年ですよ」と言います。雫の担当編集する園村真琴は「自分のこころに正直な人と仕事がしたい」と言います。

そしてなによりも、中学生の頃の雫と聖司がいるのです。

実写版では、中学生の二人と10年後の二人の4人による演奏と歌唱がなされます。まさにファンタジーです、美しい。

わたしたちは、
絶えず濁流にのみこまれようと、
絶えず耳をすますことができる。

心の音をきくとき、あの頃の恋もいっしょに思い出すのでしょう。そうすれば、”現実”にも負けないあの頃の想いを抱き続けることができる。

…そんなメッセージの込められた作品でした。

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ジブリ作品『海がきこえる』との比較

ジブリ作品の『耳をすませば』と『海がきこえる』を比較したいと思います。
(あわせて読みたい記事→【ジブリ作品】『海がきこえる』自分の意思をとりもどす【氷室冴子原作】

上記してきました文脈でいうと、『海がきこえる』は”現実”を描いた作品だといえます。どちらも学生を描いた作品ですが、『海がきこえる』はさばさばしているんです。夢に向けた葛藤が描かれるわけでも、ファンタジーの華やかさを描くこともない。

そこが、『耳をすませば』との違いです。
ですが、『海がきこえる』もちゃんと感動できるんですね。

それがなぜかというと…

”現実”にあるメランコリー、それすなわち”現実”にこそある美しさ

を描いているからだと考えます。

これまで、散々”現実”を悪いものとして文章をしたためてまいりましたが、実際はそうでもないということ。

人は理想を追いがちです、なにかを夢み、生きる。月島雫や天沢聖司がそうしていたように、その克己心に魅了される。それはそれで、素敵です。

ただ、往々にして人生は間に合わないものなのではないでしょうか。

ゆきつく先は、諦念

「現実は甘くない」、世知辛い人生に忠実な物語として『海がきこえる』があります。しかし、そこにこそ微かに感じる美しいものも、ちゃんとある。

『耳をすませば』と『海がきこえる』を見比べてみるのも面白いかもしれません。

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まとめ

ジブリ&実写映画『耳をすませば』についてをしたためました。

10年後を描くことで、現実に直面する雫と聖司の葛藤がより描かれていたと思います。そこが続編をつくることのひとつの意義になっていたのではないでしょうか。

・夢を追いかけている人
・ジブリ作品『耳をすませば』が好きな人
におすすめです。

ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。

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