映画を彩るものとして欠かせないのが音楽。
素敵な物語に添えられる美しい音色は、その映画をわたしたちの記憶に刻みます。
今回は、音楽×映画をテーマに、音楽が物語において主要なものとなっている映画を紹介します。
中学生のころから、映画にばかり浸っていた私は、音楽には疎いです。それでも、素敵な音楽が印象に残っている映画はたくさん知っています。音楽がいかに良いかなどの解説ではなく、あくまで音楽が良い”映画”の紹介になりますので、あしからず。
音楽、それは人間の悲鳴。
悲哀に抗う人の姿をみていきましょう。
『シング・ストリート 未来へのうた』
あらすじ
大不況にあえぐ85年のアイルランド、ダブリン。14歳の少年コナーは、父親が失業したために荒れた公立校に転校させられてしまう。さらに家では両親のケンカが絶えず、家庭は崩壊の危機に陥っていた。最悪な日々を送るコナーにとって唯一の楽しみは、音楽マニアの兄と一緒に隣国ロンドンのミュージックビデオをテレビで見ること。そんなある日、街で見かけた少女ラフィナの大人びた魅力に心を奪われたコナーは、自分のバンドのPVに出演しないかとラフィナを誘ってしまう。慌ててバンドを結成したコナーは、ロンドンの音楽シーンを驚かせるPVを作るべく猛特訓を開始するが……。
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ロマンの必要性
コナーの生活は最悪なものでした。両親の夫婦喧嘩をよそに、ひとり部屋にてギター片手に音楽を奏でる、という冒頭からはじまります。学校では、校則に縛られ、虐待教師にいじめっこ、大不況のダブリンに暮らすコナーの最悪な日常が描かれます。
そんななか、音楽という”ロマン”だけが日常を素敵なものへと変えるものだった。
監督/脚本はジョン・カーニー。
『ONCE ダブリンの街角で』で孤独な人間の音楽を通したささやかな交流が描かれ、『はじまりのうた』で落ち目な人間が音楽を通して輝きを取り戻していくさまが描かれました。音楽に造詣のある監督であることはさることながら、うまくドラマとリンクさせる手腕がすごい。
今作では、最悪な日常を音楽と対比/対立させる構造をとおして、”音楽の創造”が日常を色鮮やかに染め上げていく美しさがストレートに描かれています。
わたしは、この映画に”ロマン”の必要性についてを考えさせられました。
ロマン → ロマンチックな事柄や気持ち
ロマンチック → 現実の平凡さ・冷たさを離れ、甘美で、空想的・情緒的であるさま
とあります。
この物語のコナーや兄ブレンダン、モデル志望のラフィナと同様、映画好きな私は少なからず”ロマン”に価値を置いていることを自覚しています。
なぜか。それは、現実があまりに現実的すぎるからです。
生きていて、現実が辛いと感じることが多く、思い通りにならない、それゆえ、「こうなればいいのに」「こうだったらよかったのに」と傲慢な理想を掲げがち。わたしの弱さです。でも、現実は”そう”はならない。だから映画に求めているんですね。コナーの身近に音楽があるのと重なります。
イギリス文学に有名なものが多い理由が、イギリスの国民性が関係している、というようなことを何かで知りました。というのは、イギリスは現実が厳粛すぎるがゆえに創作物に癒しを求めるという理屈です。
わたしの映画への逃避やコナーの音楽の創造は、このことに関係していて、”ロマン”というのは、現実に疲れ果てた人々の希望すなわち救済になるんだろうな、と思ったりします。
現実を”ロマン”で浸食させる、そんなホグワーツ魔法学校のようなミラクルを感じることのできる素敵な映画です。
『ラ・ラ・ランド』
あらすじ
オーディションに落ちて意気消沈していた女優志望のミアは、ピアノの音色に誘われて入ったジャズバーで、ピアニストのセバスチャンと最悪な出会いをする。そして後日、ミアは、あるパーティ会場のプールサイドで不機嫌そうに80年代ポップスを演奏するセバスチャンと再会。初めての会話でぶつかりあう2人だったが、互いの才能と夢に惹かれ合ううちに恋に落ちていく。
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夢と恋愛の相克
ジャズミュージックをこよなく愛するセブ。
女優を夢みるミア。
ふたりのラブロマンスを、音楽とダンスで彩った素敵な映画です。
今作の内容は、夢 VS 恋愛、という構造を呈しているように思います。
セブとミアは共通して、自分の”夢”にひたむきに生きています。しかし、そこに立ちはだかるのが”恋愛”。両立させりゃいいのにと一蹴してしまえればそれまでですが、人生はそううまくはいかないということに悲哀を込めています。
ライアン・ゴズリングの「悲哀」の演技には毎作脱帽。『きみに読む物語』『ドライヴ』『プレイス・ビヨンデ・ザ・パインズ/宿命』『ブレードランナー2049』。瞳・まなざしでそれを表現する巧妙さに目を見張るものがあります。
このセブの悲哀が美しい。
”夢”と”恋愛”、どちらもロマン。
”夢”に挫折したミアを叱咤激励するセブのシーンが最高。オーディションに落ち続け、それでも自費で舞台を催すミアの努力。しかし、限界が来たその時に、セブが傷心したミアを訪れる、可能性を疑わない。それができるのは彼自身が夢追い人だからであり、ミアを愛していたからでありましょう。
もうひとつ、ミアが”叔母を語る”シーンも涙腺崩壊もの。夢追い人に乾杯。人間の輝きは、狂気にも似たロマンの追求に見出せるものだなと思えます。
”夢”と”恋愛”、どちらかの犠牲を悲哀として結実させた物語でした。
『グレイテスト・ショーマン』
あらすじ
貧しい家に生まれ育ち、幼なじみの名家の令嬢チャリティと結婚したフィニアス。妻子を幸せにするため努力と挑戦を重ねるフィニアスはやがて、さまざまな個性をもちながらも日陰に生きてきた人々を集めた誰も見たことがないショーを作り上げ、大きな成功をつかむ。しかし、そんな彼の進む先には大きな波乱が待ち受けていた。
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リンドの渇望
悲哀を渇望へと昇華させたのが『グレイテスト・ショーマン』に登場するリンド。
リンドの歌唱「Never Enough」は、私的映画音楽の最高峰であります。この歌に込められたリンドの渇望、それは「大喝采で心の穴を埋められない」という彼女の言葉通り、ビジネスを凌駕する”人間の愛”でした。
リンドの渇望は、『ラ・ラ・ランド』のセブの悲哀と同じです。どちらも 夢 VS 恋愛、としたときの答えを示しています。
「ひとり」の”夢”というロマン
「ふたり」の”恋愛”というロマン
孤独な人間の愛と自由の相克をみます。
今作がミュージカルを群像劇仕立てにしている点が、リンドの渇望→物語の一端と強調させており、よりリンドの悲しみが冴えわたります。展開的にはリンドが悪役の側面を呈しますが、恋愛というものはそういうものでしょう。映画『her/世界でひとつの彼女』に、恋愛について言及した台詞があります。それが「社会的に受容された狂気」というもの。リンドのそれが今作でもあらわれたということです。
それだけに、リンドの歌が美しい。
『トイ・ストーリー2』
あらすじ
アンディの部屋のおもちゃ-カウボーイ人形のウッディとスペースレンジャーのバズは、今日も仲間と楽しい時間を過ごしていた。ところがある日、バザーに売りに出されたペンギン人形のウィージーを助けに行ったウッディが、通りすがりの男に盗まれてしまう。ウッディ略奪犯、それはおもちゃ屋のアルという男だった。バズたち仲間は親友の救出を計画、アルのおもちゃ屋に向かう。一方アルのマンションに連れてこられたウッディは、自分がプレミア人形であることを知る。
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ジェシーの悲哀
「エミリーは私のすべてだった」これは映画『トイ・ストーリー2』に登場するジェシーの台詞です。
小学生低学年だった頃、『トイ・ストーリー1・2』がはいったVHSを繰り返し観ていました。本当に大好きでした。そして今でもそうであることを再確認し、その要因のひとつに、ジェシーの悲哀に感動していたからだということに、大人になって気づきます。
ジェシーの歌「When She Loved Me」は、私的映画音楽の最高峰であります(2回目)。愛の喪失、変化の悲哀が表現された音楽でして、それはジェシーのかつての持ち主エミリーに向けられた想いです。
おもちゃを捨てるという行為は、誰しもが経験のある事かと思います。それをおもちゃの視点で描く『トイ・ストーリー』シリーズ。大人になっておもちゃを愛でる人が少数派になることを知っており、身に覚えのある私たちからして、おもちゃの運命が残酷であるということに異論はないでしょう。その末路をおったジェシーが今作の主要な要素になっていると思います。
ここまで紹介してきました映画
『シング・ストリート』→ ロマンの必要性
『ラ・ラ・ランド』→ ロマンの犠牲
『グレイテスト・ショーマン』→ ロマンの狂気
とすれば
『トイ・ストーリー2』→ ロマンの再生
となります。
ジェシーの暗闇をこじ開けるウッディの呼びかけ「だったら一緒に創ろうぜ」は…
失われた愛を、もう一度取り戻す
愛する人を、もう一度創ろうぜ
という希望に満ちたものでした。
これまでの悲哀の数々は、これからのロマンの大きさに比例する。ロマンは繰り返す。
素敵な映画が何本も創造されていることが、この希望の証拠でしょう。
まとめ
映画もいい!音楽もいい!わたしのオススメな4作品を紹介してまいりました。
人間の創造にロマンは欠かせませんね。
わたしのこの記事も、”感情”を大切にしたためております。いつか何かになればと思いながら、これからも執筆していきます。
・音楽が好きな人
・明るくてやさしい映画が好きな人
・創作が好きな人
・夢追い人
におすすめです。
ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。
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