
映画『パンチドランク・ラブ』の感想記事となります。
監督/脚本はポール・トーマス・アンダーソン
2022.7.1 には、最新作『リコリス・ピザ』が公開予定です。恋愛もののようですね、すごくたのしみ。
P・T・アンダーソン監督の映画には、濃厚なヒューマンドラマ×ちょっと変わった物語。という作風を感じておりまして、クセが多いように思います。
ただ、今回取り上げます『パンチドランク・ラブ』は、わたしのみる限りにおいてはストレートなラブロマンスでした。
なので、監督の映画のなかでは比較的、観やすい映画かなと思います。
では、以下に感想をしたためていきます。
(※おおいに執筆者の主観がまじっていることをご留意ください)
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(音声はこちら→『パンチドランク・ラブ』を物語る)
あらすじ・解説
「ブギーナイツ」「マグノリア」のポール・トーマス・アンダーソン監督が、コメディ俳優アダム・サンドラーを主演に迎えて撮りあげた異色のロマンティックコメディ。ロサンゼルス郊外の町で暮らすバリーは、トイレの詰まりを取る吸盤棒のセールスマンとして真面目に働いている。7人の姉に囲まれて抑圧されながら育った彼は、突然キレたり泣き出したりと情緒不安定な一面を抱えていた。ある日バリーは姉の同僚であるリナと出会い、ふたりは次第にひかれ合う。その一方で、バリーは何気なくテレフォンセックスのサービスを利用したことから、思わぬトラブルに巻き込まれていく。共演は「奇跡の海」のエミリー・ワトソン、「ブギーナイツ」のフィリップ・シーモア・ホフマン。2002年・第55回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞した。
映画.com
7人の姉に囲まれて抑圧されながら育った、とありますね。
なかなかつらい…。
コミュニケーションの目的が男と女とで脳の構造から違う。ということを、なにかで読みました。
わたしの経験からも頷ける。男性として、女性として人生を生きていく。この価値体系の相違は、当然ながら個人の性格にも影響されることは感覚的にもわかります。
女性の多い家庭環境で育ったバリーの性格が絵的にあらわされていますね。
というのは、職場の立地がすごく端っこなんですよね。大きな道路沿いにある門から入って約25mくらい先に、ようやくバリーの職場のガレージにつく。そのガレージのなかにも、わざわざガラスで隔たれたバリーの仕事部屋がある。
この職場の奥の奥の奥に、とじこもっている感じは、そのままバリーの性格をあらわしています。冒頭から、対人交流に消極的で、恐れているバリーが描かれているんですね。
そんなバリーがリナに出逢い…。
といった感じで、物語が進んでいきます。
所感
一人にしてほしい。主人公が事業を立ち上げたのもそれが一番の理由なんじゃないかな。人から束縛されるのを嫌って、干渉されるのに嫌気がさして、人との関わりに少し億劫になってしまった、そんな主人公。
立て板に水な弁舌のお節介な姉達のように何かにつけて話を聞きたがるやつはたくさんいる。聞くべきことと、聞かないでいてよいことと、人との関わりには節度ってものがある。その境界線を平気で飛び越えてくる、そんなやつらがいるから問題がおこるんだ。
ただそんなやつらの逆をいく人もいる。「何があったの?」と聞かないで、機微を感じてそっとしておいてくれる洞察力と想像力に富んだ今作のヒロインだ。
普通は気になることも敢えて聞かない。その詮索が人を傷つけることに繋がる可能性を孕むことを理解しているから。この敢えての無関心さの装いが人に心地よさを与える。
そんな人になら電話越しの会話なんかじゃ伝えられない自分の気持ちを、孤独な訳を打ち明けることができる。面と向かって本当のことを言える強さをもてる。
店から出るだけのシーンであんなに感動するなんて。
こころの距離
「詮索」と「推察」はまったく違うんだ。頼むから、推察をしてくれ!…と、バリーは言いたいんだなって思うんです。
詮索 → 細かいところまで探り求めること
推察 → おしはかること(→ある事について考える時に、既にわかっている他のことを基準にして、検討をつけ判断すること)
詮索&愚痴をしまくる姉たち
推察をして見守るリナ
とで対比がされます。
ほんとリナは天使です。
他人にはふれてほしくない秘密や過去は、誰しもが当然あるものだと思います。それが解決できたらいいけれど、できないからこうしてふさぎ込んでいるわけであって、せめて、放っておいてほしいって時。
その点を、十分に了解していて、バリーに対して謙虚に近づこうとするリナが美しい。ふたりでディナーをする夜。話しの流れでリナがバリーの”ふれてほしくない過去”を聞いたために、バリーが店のトイレを荒し、店員に出ていかされるシーンがあります。リナはなぜ出ていくことになるのかはわからないのですが、バリーを追うように店をあとにします。
ここがすごい。
というのも普通だったら「何があったの?」とバリーに問いただすはずです。しかし、リナはそっとバリーの傍らを歩くのみ。
沈黙がふたりを包んでいる。
この沈黙をいかにバリーが求めていたことか!!
このシーン何回も繰り返しみています。
”詮索”に人を傷つける可能性が孕んでいることを知っているリナは、バリーにとって、信頼のたる人物だったんですね。
この映画は、こころの距離にまつわる物語と解釈しています。
新海誠監督の『秒速5センチメートル』では
遠く離れた女性に恋焦がれる遠野貴樹の、どうしようもならないこころの距離が描かれていましたね。
距離と時間を扱った作品かと思います。
そして、『パンチドランク・ラブ』においてもそのテーマ性が重なります。遠野貴樹は、物理的距離と時間経過によって、心理的距離がはなれていきました。それに対し、バリーはすべてにおいてその逆をゆきます。
リナという存在を愛することで、バリーはスーパーヒーローになるんですね。リナとなら、電話でなく面と向かって愛を囁き、リナのためなら、ロサンゼルスからユタ州に、そしてハワイにだってすぐに行く。
心理的距離のまじわりが、
物理的距離を凌駕する。
この映画では、心理的距離と物理的距離をカット割りでうまく表現されているように思います。
リナとバリーの心理的距離の近づきを表現するとき → じっくりと丁寧に描く
バリーが詐欺集団と対面するためユタ州に赴くとき → カット割りで一瞬で済ませる
みたいな感じで、距離を埋めるのに、費やされるあらゆることの量が…
心理的距離 > 物理的距離
と表現されています。
そういう意味でこの映画は、バリーのスーパーヒーローもの(アクション)をあっさり済ませることで、バリーとリナのこころの距離(ラブロマンス)を丁寧に描き、強調させている
となりますね。
人間関係における距離や節度というものを越境する愛を描いた素敵な作品でした。
まとめ
人と距離をおくバリーの気持ちわかります。わたしも、似たような経験を数えきれないほどしています。
助けて、リナ。
・対人不安のある人
・ロマンチスト
・家族が嫌いな人
におすすめです。
ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。
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