【映画】『ウェンディ&ルーシー』世界に晒される個人の尊厳【ケリー・ライカート監督作品】

(C)2008 Oscilloscope Laboratories.

映画『ウェンディ&ルーシー』の感想/紹介記事となります。

アメリカの映画監督ケリー・ライカートの作品です。インディーズ映画をおおく手掛ける監督で、本作は代表作となります。

自主制作の映画らしく、フォーマリズムが抑えられ、伝えたいことを実直に表現した映画に思います。

この監督の映画の特徴は…

世界もしくは社会のなかの、小さな存在である個人を映す

だと解釈しています、個人の無力や儚さが強調されている。

それを表現するために、ロングショットを多用したカメラワークが目立ちます。壮大な自然の中にいる個人、無機物なものに囲まれた個人を遠くから撮ることで、世界もしくは社会にいる、ちっぽけな個人を演出している。

本作では、それを踏襲したうえで、個人の尊厳についてを描いた物語だと考えます。ちっぽけな人間、同様に個人の尊厳もちっぽけにならざるを得ないものなのか。そこと極めてリアリスティックに向き合った映画です。

(※おおいに執筆者の主観がまじっていることをご留意ください)
(音声はこちら→『ウェンディ&ルーシー』世界に晒される個人の尊厳

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あらすじ

ほぼ無一文のウェンディは、仕事を求めて愛犬・ルーシーと共にアラスカへ向かう。だが、道中のオレゴンで車が故障した上、ルーシーのドッグフードがなくなり、万引きしたウェンディは警察に連行されてしまう。ようやく釈放されるも、ルーシーが行方不明に…。

引用:U-NEXTのストーリーより

放浪の感じがそこはかとない哀愁を漂わせています。

ウェンディと愛犬ルーシーのロードトリップの物語。道中に出逢う人々・物事には、鬱屈としたやるせなさに包まれている、そんな感じがあります。

物語は淡々と進みますので、起伏に乏しい。
ただ、現実ってそういうものですよね。

映画では、理想が描かれやすいです。映画を観て、感動し涙を流すのは、それが理想的な物語だから。そして、それは現実は理想的でないということを裏打ちするものでもあります。

その現実のリアルを徹底的にみつめているのが本作の物語です。

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世界に晒される個人の尊厳

あらすじにもあるように、中盤ウェンディは愛犬であるルーシーを見失います。この出来事がこの物語の肝だと思います。

ルーシーと離れ離れになることが意味するのはなにか。それは、ウェンディの”尊厳”の喪失をあらわしているのではないでしょうか。

尊厳 → 存在することの意味の実感
と、この文章ではおさえてほしいです。

ウェンディは、ほぼ無一文で、家もなく車中泊、頼れる親戚もあてにできない。そんな状況で、仕事を求めアラスカまでのロードトリップをしているわけです。

自分の尊厳がいまにも崩れそうな状況といってもいいのではないのかと。そんななか、ルーシーが傍らにいて、戯れ、世話をし、愛情を注ぐ。

ルーシーはウェンディにとって最低限の尊厳を担保する存在だった。
ルーシー = ウェンディの尊厳

しかし、ウェンディはルーシーを見失い、ウェンディの尊厳は喪失した。愛犬を失うことで、自身の尊厳をも喪失し、途方に暮れるウェンディの行動が物語のメイン。

では、この原因がなんだったか。ウェンディがドッグフードを万引きしたことからはじまり…
店員→店長→警察→拘留→見失う、でした。

一連のながれでいろいろな人物が登場しているのがポイントだと考えます。

ルーシーが生きるため、それはウェンディの尊厳を守るためでもある。そのための些末な万引きを発端に社会構造に時間とお金を奪われ、あげくの果てに、ルーシーを失うということ。

また、物語冒頭でも一度ウェンディはルーシーを見失っています。森のなかで炎を囲いキャンプをする若者たちと一緒にいるところを発見する。

2度をもルーシーを見失い、ウェンディの尊厳が危ぶまれているんですね。

これが意味することは、すなわち…

世界や社会にからめ取られる個人の尊厳、そして、その尊厳の脆さ

なのではないでしょうか。

ケリー・ライカート監督作品の物語上で共通していることとして
・”無駄話し”に興味を示さない人物
・”無駄な手続き”に時間をとられる人物
があげられます。

無駄”が強調されているように思うんです。

同監督の映画『ナイト・スリーパーズ ダム爆破計画』という作品では、ある人物が世界のために、ダム爆破を決行します。しかし、世界に知れ渡ることもなく、むしろどんどんと自分のために動かざるを得なくなる…という物語の展開でした。

このように、人間の主張や行動の儚さを諦念の気持ちをもってして描いているのが特徴で、今作では、それがウェンディのちっぽけな尊厳に対応している。

そのちっぽけさを表現するのも、リード文で記しましたロングショットの多用です。同監督の映画『ミークス・カットオフ』でも、西部の更地をさすらう人物を超ロングショットでとらえています。

荘厳な世界のなかにある、人間のちっぽけさを演出しているわけです。

この演出がウェンディにも施されます、やめてほしいですよね。

世界・社会に存在するちっぽけな個人。その個人の尊厳の脆さを徹底的に示した映画でした。

ただ、こう書いているとハッピーではないですね。少なくとも明るい映画ではないのは確かではありますが、真っ暗かというとそうでもない。そもそもウェンディにはルーシーがいますし、駐車場にいる警備員さんにだって、しっかりと気にされている。

ちっぽけな者同士の抱ける優しい温もりを微かに残している映画でもあります。

そしてそれは、現実世界でも同じですよね?

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まとめ

映画『ウェンディ&ルーシー』を紹介してきました。刺激的なものとは真逆な映画ですので、アベンジャーズがよい映画の基準となっている方にはおすすめできません。

人間の真実だったり、人生の悲しみとかを感じたい人に勧めます。

・人生に疲れている人
・孤独な人
・インディーズ映画の雰囲気を知りたい人
におすすめです。

ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。

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