映画『寄生獣』『永い言い訳』深津絵里さんが麗しい

(C)2016「永い言い訳」製作委員会

映画『寄生獣』を観た。とても感動した。特に田宮良子が美しかった。演じるのは深津絵里さん。パラサイトでありながら、人間社会との共存を志向し、そのための生き方を模索する人物である。冷静沈着に発せられる言葉と、中央で分けられた黒髪の隙間からのぞく眉ひとつ動かさない無表情な面持ちが、御しきれない暗鬱とした艶美を放つ。“静”に重きを置いた性格の持ち主であるため、所作の一つひとつが与える印象が、ほかの人物とくらべて大きく、パラサイトの同族のなかでも高位にいる存在であるだけに、求められる演技のハードルが高かったように思う。深津絵里さんは、それをやってのけていた。大きな黒目が特徴的な眼は顔の少なくない割合を占め、陰より迸る一閃の眼光が、共存を望む一縷の希望と重なる。獲物を狙う捕食者の威厳に満ちているが、人間の温もりも身に纏っている。凍てつく表情の裏側に、やさしい母の心を感じるのは、そうした田宮良子の造形に、深津絵里さんの身体性と俳優としてのイメージが、見事にシンクロしているからだろう。

切断された感情。甦ることのない至福。失われた愛。不在が知らしめる恒久の愛憎は、過去、生活の端々にあった怠惰を浮き彫りにし、緩やかな波のリズム、はたまた朝の支度の些細な時間に突如としてあらわれて、悔恨の迷宮へと向かわせる。潤んだ眼の絢爛を、やさしい声の揺らめきを、白く柔らかな肌の反発を、恋してやまないと気づいたとき、時間差で愛を望んだ場合、残された者に何ができるのだろうか。映画『永い言い訳』では、妻を亡くした男が描かれる。際限も、容赦もない人の想像力は、美しい物語を紡ぐための源泉になったり、未知なる創造の端緒となったりする一方で、指のささくれを引き剥がすときのような瞬発的に脳裏を走る鋭い痛みや、記憶の隅に淀んだ鈍い孤独を惹起することもある。その男の日常は、後者の想念と結びつく。さながら、喪失を抱えた者の哀切で不憫な夢ともまがう記憶の破片が、人生にばらまかれているかのようだ。妻の登場シーンは少ない。冒頭の夫の散髪と、友人と旅行先へ向かう道中と、夫の記憶、あるいは想像の世界でのみだ。深津絵里さん演じる妻・衣笠夏子の姿は、限られた時間のなかで立ち昇る。この世界を去った人物に、海でたわめく表情に、尊ぶべき愛の瞬間に、また出会い直したいと願うときに。

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