映画『ブラック・フォン』の感想/紹介記事となります。
執筆者イチオシの作品をまた見つけてしまいました。
『ブラック・フォン』。最高です。
予告編とかだと、ホラーやスリラー要素の色濃い物語として宣伝されていましたが、わたしとしましては、ドラマ性に魅力を感じる作品でした、やはりジュブナイルものは良い。
それに誘拐犯(グラバー)を演じておりますのが、イーサン・ホークなんですね。リチャード・リンクレイター監督の『ビフォア』シリーズで何度もお目にかかっています大好きな俳優が、悪役ということで、わたしとしては無理がありました、だってめっちゃイーサン・ホークなんですもん。
なので、割り切ってイーサン・ホークの怪演を楽しもうと思っていたんですね。そしたら、そこではなくドラマ性に号泣ですよ、予想だにしていない傑作の発見でした。
今回は、そんな傑作『ブラック・フォン』の魅力を記していきます。
(※ネタバレを含みます、おおいに執筆者の主観がまじっていることをご留意ください)
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あらすじ
コロラド州デンバー北部のとある町で、子どもの連続失踪事件が起きていた。気が小さい少年フィニーは、ある日の学校の帰り道、マジシャンだという男に「手品を見せてあげる」と声をかけられ、そのまま誘拐されてしまう。気が付くと地下室に閉じ込められており、そこには鍵のかかった扉と鉄格子の窓、そして断線した黒電話があった。すると突然、フィニーの前で断線しているはずの黒電話が鳴り響く。一方、行方不明になった兄フィニーを捜す妹グウェンは、兄の失踪に関する不思議な夢を見る。
映画.com
安定しておもしろい作品を世に放ち続けているブラムハウス・プロダクションズが制作に携わった作品。
誘拐され、地下に閉じ込められた少年フィニーの奮闘がメインで描かれたスリラー作品であります。おもしろいのが断線されているはずの黒電話からの交信、というファンタジー要素ですね。
ホラー映画というよりも、スリラー×ファンタジー(ホラー的)映画と括られた印象を受けました。
似ている映画として、まっさきに『IT/”それ”が見えたら、終わり。』を思い出します。ホラーまたはスリラーとを組み合わせたジュブナイルものの相性のよさは抜群。万人に共通する苦しみや悲しみの根本的な部分に対するカタルシスにつながるからですね。
孤立と闘争
大半が誘拐され地下に閉じ込められた少年フィニーと誘拐犯(グラバー)とのスリラー。くわえて、断線されているはずの黒電話からの交信、というファンタジー(ホラー的)。このスリラー×ファンタジーが物語の見どころとなっています。
ただ、ドラマ性もしっかりしていまして、作品内メッセージがちゃんと込められています。むしろ、わたしとしましては、そこが魅力だと感じましたので、そこについて詳しく記せたらと思います。
まず、フィニーの幽閉という展開について。
幽閉 → 孤立、でありますね。
これは物語においては、物理的にそのままの意味でそうなっているのですがテーマとして、人間関係における孤立を描いた作品だと考えられるんです。
フィニーの誘拐されるまえの
描写に注目しますと…
・喧嘩から距離をおく
・いじめっ子から逃げる
・好意ある女性に奥手
・父の過度なしつけを仲裁できない
という具合に、”逃避”というフレーズがぴったりな人物として描かれます。
これは、人間関係構築において致命的であり、孤立の先駆けです。
対比的に、ロビンの存在があります。喧嘩に受けて立ち、いじめっ子からフィニーを守ります。
「自分の身は自分で守れ」
と、言って聞かせるんですね。
2人の人間関係について
フィニー ⇒ 逃避
ロビン ⇒ 闘争
と、対応することができます。
人間関係を避ける者と、
勇気をもって取り組む者との対比
この対比からも、今作が人間関係への姿勢を扱った映画であることが伺えます。
そして、中盤以降のフィニーの幽閉は、その前の物語を布石としておくことで、物理的な孤立と同時に、精神的な孤立をも表現された状況、と言えるんだと思います。誘拐犯とのスリラーが、フィニーのドラマ性とリンクしているということであります。
おもしろいのが、「喧嘩」を否定ではなく、むしろ肯定している点であります。殴り合いの喧嘩をして、むしろ仲良くなる的な展開は、わりとあるものですが、まさにそれ。フィニーのように逃避するよりは、喧嘩してでも人と関わるほうが良いということ。
孤立 < 闘争 であります。
「”血”を見る」ということは、人を傷つけていることを視覚的に了解することです。ロビンはそのことを認識したうえで喧嘩をしていました。また、フィニーのいじめっ子の一人と、救済にはいった妹グウェンの二人が”血”をだして、「ちょっとやりすぎちゃったかな」的な表情になるシーンもありますね。なにも言わず、逃げてばかりいる人間の陰湿さよりかは、人間関係の衝突での「喧嘩」は、わかりやすい分、真っ当ということであります。
こんな感じで、誘拐される前のドラマの部分。”孤立”をキーワードとしたフィニーの人物造形をしっかりと固めたうえで、中盤~終盤のスリラーの展開にもっていくんですね。
恐怖の克服
映画『IT/それが見えたら、終わり。』では、「”恐怖”を具現化するペニーワイズ VS ルーザーズ・クラブ(主人公たち)の戦い」を描いたホラー×ファンタジー映画でした。そして、ペニーワイズは度々、子どもたちに”恐怖”による分断を迫るんですね。それでも、団結し”恐怖”と向き合う子どもたちが描かれています。
分断 ↔ 団結
分断に陥れようとするペニーワイズと団結をするルーザーズ・クラブに「”恐怖”と”希望”の相克」をみます。分断の危機に何度も晒されようと団結する子どもたちを描くことで、”希望”のための勇気を表現しています。
では、ペニーワイズが分断を唆す理由はなんなのか。それは、分断の最果て、すなわち”孤立”こそが、人間の最大の恐怖としているからだと考えます。
このことと、今作『ブラック・フォン』のテーマが重なるんですね。フィニーは”孤立”の段階にすでにいるんです、”恐怖”に呑まれた状況であります。そして、その原因を、フィニーの”逃避”に帰着していることは上記しましたとおりです。
で、今作でも、そこから脱すること、すなわち”孤立”⇒”つながり”を描いている。
『IT』との違いは、”つながり”を黒電話の交信で描いている部分でしょう。ルーザーズ・クラブの団結は彼らがチームプレーをそのままやっているのに対し、フィニーの場合は幽閉された身でありますので、そうではない。黒電話での交信というファンタジーで”団結/つながり”を描写する分、より抽象的なメッセージが強いんですね。
そして、交信相手が誘拐犯に殺害された少年たちのゴーストとしていることに、悼みの要素が含まれます。フィニーとゴーストの団結は、「恐怖の克服」と「雪辱を果たす」を両立させ、フィニーの”勇気”の獲得が、ゴーストたちの成仏につながるんですね。
ここでの、ロビンとの交信が白眉であります、号泣ものです。幽閉されたフィニーは”逃避”するための行動ばかり、そりゃそうですよね普通に怖いですもん。ただ、ロビンの喧嘩よろしく、”勇気”と”復讐”がため戦いの決意をする終盤は、”孤立”を脱し、”つながり”のための「喧嘩」の実行であります、最高です。
この映画が素敵なのが、グラバーざまあみろの物語ではなく、フィニーの成長譚を一貫して描いたことです。作中、フィニーを救おうとする人物(警官、家族)が描かれますが、結局はフィニーの個人プレー(ゴーストとのチームプレー)で乗り切っていますね⇒「自分の身は自分で守れ」。
この個人主義的な展開に、”孤立”というテーマ、そして抽象的な精神論を据えています。ホラー/スリラーを適度に面白くしたうえで、ドラマ性の部分を最大の魅力としいるように思います。
最高のラストシーン
ホラー映画ということもあり、ジャンプスケアが多いです。印象に残ったのは…
カメラを横にパン → ジャンプスケア
…というカメラワーク。
今作では、これがラストシーンへの伏線として機能しているように思うんですね。
そのカメラワークを利用し、
カメラを横にパン → ドナ、なんですね。
ドナとは、フィニーが好意を寄せていた女性であります、幽閉以前は、奥手なフィニー。
そして…
”恐怖”を克服したフィニーが好意を寄せるドナを、ジャンプスケアというホラー映画の手法と対置させ、演出することにより、”孤立”⇒”つながり” = ”愛”、際立たせたラストだったのだと感じております。
本当に素敵な映画に出逢ってしまった。
まとめ
ジュブナイルものはやはり良い。子どもの成長譚を感じることは、大人になっても、いや、大人だからこそのカタルシスもあります。忘れてはいけない”勇気”についてを、今作でまた振り返ることができました。
・孤立を感じる人
・勇気を持ちたい人
・ジュブナイルものが好きな人
におすすめです。
ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。
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