イザベル・コイシェ監督/脚本の映画『あなたになら言える秘密のこと』と『マイ・ブックショップ』の紹介記事となります、うえの画像はマイ・ブックショップのものです。
本当に”優しい”映画です。この優しさをわたしの言葉であらわせば、自分の幸福に、他人の不幸を利用しない人となります。
現実と虚構、それぞれを…
『あなたになら言える秘密のこと』では、体の傷と心の傷であらわし、『マイ・ブックショップ』では、民意と本とであらわしていた、そう思います。
現実世界と虚構世界をどう扱えば、優しく生きていけるのか…。
そんなことを思わせる映画でした。
では、それぞれの作品を紹介していきます。
(※おおいに執筆者の主観がまじっていることをご留意ください)
(音声はこちら→『あなたになら言える秘密のこと』『マイ・ブックショップ』紹介動画)
『あなたになら言える秘密のこと』
解説
「死ぬまでにしたい10のこと」のイザベル・コイシェ監督が再び主演にサラ・ポーリーを迎え、1人の女性の苦悩と再生を描いた人間ドラマ。海の上に浮かぶ油田掘削所を舞台に、過去の辛い思い出により口を閉ざしているハンナと事故で負傷したジョセフとの交流と、それぞれの哀しい過去が語られる。共演にティム・ロビンス、ジュリー・クリスティ、レオノール・ワトリング。05年ゴヤ賞の作品賞・監督賞を受賞。
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耳をつんざく沈黙
「耳をつんざく沈黙」
この言葉はNetflixシリーズのドラマ『このサイテーな世界の終わり』にあったものです。
人はなにもしていないときでも、脳は絶えず働き続けていて、しばしばそこでは”自分ごと”に関するものが想起されると、心理学の本で読みました。
わたしたちは”記憶”に圧し潰されてしまいそうなときがる。
この映画でも「暇につぶされるまえに、暇をつぶす」のようなモノローグがはいります。これはそのことを指していると思います。
暇になる→過去の想起→つらい
って感じです。
で、その記憶に悩まされているのがハンナで
”心に傷をおったハンナ”と…
・片割れのりんご
・つくった刺繍を捨てる
・寡黙
・一か月の休暇を楽しまない→無気力
なんかで描かれているように思います。
そんな彼女が看護師として火傷を負ったジョセフとまじわる。ここが本作の見どころです。
心に傷をおうハンナ
体に傷をおうジョセフ
両者のまじわり、すなわち会話によって沈黙をうめていくんですね。
静寂を言葉でうめていく…ということ。
ここでいう沈黙とか静寂は、”過去”と言い換えることもできます。
過去にとらわれることは、誰しもが実感してきたものであると思います。そんな悲しみ苦しみを、乗り越えるためのささやかなメッセージがこの物語につまっています。
過去があるならば、未来もある
そのことを忘れてはいけないと、この映画が教えてくれます。
過去を受け入れ、手放す過程に必要なのは、慎み深く、誠実な他者との対話ではないでしょうか。心理学者ではないので根拠のない戯言ですが、そうなんじゃないかなと、なんとなく思うんです。
言葉によって、沈黙が破られ
言葉によって、笑顔が創られていく
「実は僕、泳げない」
「ハンナ」「なに?」「なんでもない」
人がなにかを口にするというのは、過去ではなく、未来を生きているということ。
そうやって、だんだんと、耳をつんざく沈黙が消えていく。体の傷とは違い、永久に癒えないかと思われた心の傷も…消えていく。
過去を克服し、未来を生きていこうと思える
そんな映画です。
『マイ・ブックショップ』
あらすじ・解説
イギリスの文学賞ブッカー賞を受賞したペネロピ・フィッツジェラルドの小説を「死ぬまでにしたい10のこと」「しあわせへのまわり道」のイザベル・コイシェ監督が映画化。1959年イギリスのある海岸地方の町。書店が1軒もないこの町でフローレンスは戦争で亡くなった夫との夢だった書店を開業しようとする。しかし、保守的なこの町では女性の開業はまだ一般的ではなく、フローレンスの行動は住民たちに冷ややかに迎えられる。40年以上も自宅に引きこもり、ただ本を読むだけの毎日を過ごしていた老紳士と出会ったフローレンスは、老紳士に支えられ、書店を軌道に乗せる。そんな中、彼女をよく思わない地元の有力者夫人が書店をつぶそうと画策していた。フローレンス役を「メリー・ポピンズ リターンズ」のエミリー・モーティマーが演じるほか、「しあわせへのまわり道」のパトリシア・クラークソン、「ラブ・アクチュアリー」のビル・ナイらが顔をそろえる。
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所感
空はどんより曇り空、太陽の気配はまるでなく、あるのは雨の予感だけ。
そんな時にあなたは本屋を開くと言う、ただ本が好きだからだと、それが一番大事だからだと。消えゆく感情と消えたはずの温もりをこの手に留める術が本だったみたい。訳がわからない、国語と算数どちらが好きかもわからぬわたしには。
民意はさながら権力となってあなたを襲っている。難しい法律の本はわたしはもちろんあなたにもわからないようね。弱い者は淘汰される、それが自然の摂理みたい。
こうして生まれる怒りと祈りの狭間に燃える心を塞ぐように、この本を抱える、この本と留める。もって行きどころのないあなたの叫びを。
あなたが好きなものが、わたしにも少しわかった気がする。
現実を生きる勇気、虚構を生きる優しさ
この映画で感じたのは、
現実と虚構の対比です。
現実→現に実際こうであるという状態・事実
虚構→実際にはない、作り上げたこと。
とあります。
わたしはこれまで、「映画ばっか観ていないで~」というニュアンスのことをよく言われてきました。しかし、これまで一度も映画鑑賞をやめるという考えに至ったことはありません。
虚構には意味がない、という趣意があると思うのですが、わたしにはそうは思えないからです。そもそも意味ってなんぞや?って話になってきます。
生きる意味はない。だから、「意味」はつくるものだと思っております。
そういう意味で、わたしにとっては映画鑑賞に意味があるのです。
…自分でもなに言っているのかわからないんです笑
映画はフィクションです。でも、その映画を観続ける人生で充実しているのなら、いわゆる現実を生きなくてもいいじゃないか、そう思うんですね。そんな感じ。
この映画では、わたしのそうしたモヤモヤについてが描かれているなと思うんです。
フローレンスとブランディッシュ
→虚構を生きる
ガマート婦人はじめ有力者たち
→現実を生きる
って感じで、対比されています。
本が虚構のモチーフですね。
で、現実を生きる人たちが、わたしが言われてきたようなことを言っていて、本が好きなフローレンスがわたしと重なります。
フローレンスの開いた書店を、有力者たちが法律を駆使して潰しにくるっていう物語。
本 → 虚構
法律 → 現実
って感じだと思います。
ですが、フローレンスは毅然としているんですね。虚構世界を現実世界から断固として守ろうとする。
そのことをブランディッシュは台詞のなかで”勇気”と表現しています。
虚構を生きる優しさと現実を生きる勇気をもつフローレンスがただただ愛おしいんです。
劇中において「本」が象徴するもは…
心の叫びのようなものだと思うんです。
本、虚構の世界には、悲しみと怒りの狭間でどうしようもなくなっている感情や想い、祈りがつまっている。
だから、それを守ろうと奮闘するフローレンスの姿に創作物への敬意と愛をみます。
フローレンスにわたしが守られているような心地になる。
終盤のモノローグに、「彼女の心にあるものは奪えなかった(→勇気)」とあります。
フローレンスのような人々が作り上げてきた勇気の集積が虚構と考えるならば、やっぱりわたしは、これからも映画を観ていたい、観ていかねばと思えます。
繊細な人にも、ささやかな勇気を与えてくれる素敵な映画でした。
まとめ
2作品紹介してまいりました。
どちらも優しさに満ち溢れた映画です。
「過激な映画が好き!」…という方にはな人には勧められませんが…
・つらい過去がある人
・繊細な人
・勇気を持ちたい人
・優しさについて考えたい人
にはおすすめです。
ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。
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