【映画】『静かなる叫び』その瞳のさきに【ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作品】

(C)2008 RP POLYTECHNIQUE PRODUCTIONS INC.

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作品『静かなる叫び』の感想/紹介記事となります。

私の好きな映画のなかでも指折りな今作が描いたのは、カナダのモントリオール理工科大学で実際におきた銃乱射事件をモチーフとした社会派ドラマ。

監督はカナダ出身のドゥニ・ヴィルヌーヴ。ドラマの『灼熱の魂』やアクション/サスペンスの『ボーダーライン』、SFの『メッセージ』『ブレードランナー2049』など、幅広いジャンルの作品を多く手掛けており、今年は2020年に監督した『DUNE/デューン 砂の惑星』の続編の公開が予定されています。

監督の作品はジャンルが何であれ、人物の「悲哀に満ちた佇まい」や「悲壮美の冴えわたる瞳」といった人間の諸相を”荘厳”という言葉が表象するものと重ねて描くことで、人間に備わっている普遍的な偉大さが表現されているように思います。

私が今作を観たのは社会人になりたての時で、きっかけは『ボーダーライン』と『メッセージ』に惚れ惚れしたためです。2作品を鑑賞して近い日に、たまたま東京のミニシアターで上映されていましたので、足を運び、0情報で鑑賞。そして、「モノクロ映画なんだぁ」と悠長に思っていたのも束の間、耳をつんざく銃声が響き渡り、髪の毛が逆立つ衝撃がはしり、その髪型のまま77分間、集中を切らすことなくエンディングを迎えましました。とにかく衝撃的な映画体験でして、帰り道に迷うことなくBlu-rayの円盤を購入。その日からドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は要チェック人物となっており、今作『静かなる叫び』は私にとって大切な作品であります。

この記事では、私的超おすすめ映画の今作が表現されたものが何だったのかの私の解釈をしたためます。

(※おおいに執筆者の主観がまじっていることをご留意ください)

(あわせて読みたい記事→【映画&ドラマ】特集 人生を彩る物語 10選
(あわせて読みたい記事→【社会派ドラマ】特集「悲劇にみる人間の輝き」
(音声はこちら→『静かなる叫び』その瞳のさきに

スポンサーリンク

あらすじ・解説

「プリズナーズ」「ボーダーライン」などを手がけ、「ブレードランナー」続編のメガホンも託されるなど、ハリウッドで注目を集める気鋭監督ドゥニ・ヴィルヌーヴが2009年に故郷カナダで手がけた作品で、モントリオール理工科大学で実際に起きた銃乱射事件をモチーフに描いた社会派ドラマ。1989年12月6日、モントリオール理工科大学に通う女子学生ヴァレリーと友人の男子学生ジャン=フランソワは、いつも通りの1日を送っていた。しかし突然、1人の男子学生がライフル銃を携えて構内に乱入し、女子学生だけを狙って次々と発砲を開始。犯人は14人もの女子学生を殺害し、自らも命を断つ。ヴァレリーは重傷を負ったものの何とか生還し、ジャン=フランソワは負傷した女子学生を救う。それぞれ心に深い傷を負った2人は、その後も続く非日常の中で苦悩にさいなまれるが……。

映画.com(一部修正)

物語は3人の主要人物を軸に展開されます。
・被害に遭う優秀な女子学生のヴァレリー
・フェミサイドを実行する男子学生
・女子学生を救おうとするジャン

銃乱射事件をモチーフとした物語が3人の視点から構築されています。

頻繁に描写される彼らの「」。その奥に”憎悪”や”悲哀”、そして”希望”を観者は目の当たりにするのです。

スポンサーリンク

その瞳のさきに

この映画では、人物の表情を何度もクローズアップショットでかたどり、「瞳」を映しているのが印象的です。その瞳の内奥になにを秘めているのか、まなざしが向かう先になにを想うのか。観者は物語に登場する人物の表情をとおして、人間に内在する普遍的な感情が呼び起こされるのです。

上記しました3人の「瞳」が向かう対象の違いから物語を読み取っていきます。

ヴァレリー

航空業界を志望する優秀な女子学生ヴァレリーの「瞳」の対象は、”自分”でした。

洗面台の鏡に映る自分自身を見つめる特徴的なシーンがあります。幾層にも連続する自分の姿(言語化が難しい、ぜひ本編を観てください)に対峙し、それでも毅然とした佇まいで、力強いまなざしを向ける。とても美しいです。

航空業界を志す彼女がインターンのチャンスをつかむための大事な面接のあとのシーンだったのですが、そのときに彼女は「女性」だということを理由に男性面接官から女性蔑視的な対応を感じ取ります。1989年、いまほど女性が社会に台頭するのが普通ではなかった時代のなかで、社会の偏見に苛まれようと、それでも”自分”と向き合うヴァレリーの姿に希望をみます。

実行犯

フェミサイドを実行する男子学生の「瞳」の対象は、”女性”でした。

彼の瞳に潜むは、ヴァレリーの希望と対照的です。湛えているものは憎悪でしょう。女性のせいで自身が被害を被っているという彼の思想が女性に矛先を向けた怒りに転じ、銃乱射事件を巻き起こした。

彼のまなざしは、いつも対象から隔絶された状況からおくられていました。
・部屋の窓越しから向かいの部屋の女性を盗み見る
・車の窓越しから母親をみつめる
対象との間にある窓や遮蔽物は、彼の孤独をあらわしているように思います。

劇中で描かれる授業のシーンでは、講師の説明に彼の比喩ともとれる台詞があります。引用しますと…

(~)外部の干渉がない孤立系では 秩序は不可逆的に失われていき やがて崩壊するに至る

映画『静かなる叫び』台詞より

憎悪にはじまる孤独が、彼を暴挙に駆り立てたのでしょう。

ジャン

悲劇が横溢する校内にて単身女子学生を救うジャンの「瞳」の対象は、”芸術”でした。

劇中ではジャンが、スペイン内戦時にゲルニカ地方で起きた無差別爆撃の抗議としてパブロ・ピカソが描いた反戦絵画「ゲルニカ」をみつめるシーンがあります。この絵画に込められた悲劇は、モントリオール理工科大学で実際に起きた銃乱射事件と重なります。悲劇をまえにした悲哀をジャンは抱いたのではないでしょうか。

また別のシーンでは、銃撃に瀕した女子学生を必死に介抱するジャンの姿が描写されます。血に染まる女子学生をみつめながらジャンはなにを想ったのでしょうか。「暴力の恐怖」「社会の脆さ」「自分の無力」、芸術が内包する”美”や”物語”が、いま目の当たりにしている悲劇を発端とするものなのであれば、ジャンの「瞳」の内奥は悲哀に満ちていることでしょう。

スポンサーリンク

黒でありながら、白をみつめて

この映画が「モノクロ」で構成されているのも意味ありげですね。私の解釈としましては、”影と光”、”絶望と希望”といった抽象概念を描写するためだと考えます。

劇中には、白 ⇄ 黒と浸食されていくさま、または白と黒の対比、が頻繁に描写されているように思います。
・用紙にこぼれるコーヒー
・血に染まる用紙
・闇夜の降雪
・暗い部屋にライターの炎
・白い飛行機に黒い車
・黒い川に融けゆく白い氷
などなど
以上のようなデティールが散見され、それは上記しました抽象概念を視覚的にあらわしているように思います。

”影と光”、”絶望と希望”という二極性が77分間の映像へと見事に構成されます。

本作が美しいのは、人間の悲劇を目の当たりにしても、絶えず「瞳」は”希望”を対象にしているということ。

白でありながら黒をかかえて、黒でありながらも白をみつめて。人間はそうした矛盾を抱えながら”憎悪”や”悲哀”に苛まれる。けれどそれは”希望”が脅かされているというよりかは、むしろ、そのために希望は生まれているということに気づかされ、ヴァレリーのように”勇気”を選択することができる。

今作で何度観ても泣けてしまうシーンがあります。航空業界で働くヴァレリーの様子が描かれているところ。底面の黒い飛行機を潜り抜け、向こうにある白い飛行機に「瞳」をやるシーン。響く銃声の音ではなく、希望に満ちた心地いい音色が挿入されています。過去の記憶に追われようとも、未来に向けて勇ましく生きる彼女の姿。窓を開け闇夜を眺めながらタバコに火をつけ煙をふかす。グレーの灰は、白い積雪と混ざりあう。やがて雪は融け、連なる緑林のなか、木漏れ日が差し込んでいる。

憎悪に朽ち、悲哀に呑まれることがあったとしても、肌をさす木漏れ日の温もりに私たちは希望を思い出す。

どんな影が呼び起こされようとも、私たちは光に向けた勇気を選択できる。

スポンサーリンク

まとめ

わたし史上屈指の映画『静かなる叫び』を紹介してまいりました。

とにかく観ていただきたい。ほんとうに感動します。希望をそれでも選ぶということ、生きるということ。そんな美しさが表現された作品だと思っております。

・希望を持ちたい人
・人生の意味を感じない人
・感動作を観たい人
におすすめです。

ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。

コメント