【映画】『緑の光線』孤独に抗する”愛”【エリック・ロメール監督作品】

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映画『緑の光線』の感想/紹介記事となります。

ヌーヴェル・ヴァーグの一人、エリック・ロメール監督が手掛けた連作「喜劇と箴言」の5作目にあたります。
1作目『飛行士の妻』
2作目『美しき結婚』
3作目『海辺のポーリーヌ』
4作目『満月の夜』
5作目『緑の光線
6作目『友だちの恋人』

映画『美しき結婚』の記事もしたためていますので、よかったら覗いてみてください。
(あわせて読みたい記事→『美しき結婚』”世界”のひろがりは止まらない

私はこの6作のうち本作『緑の光線』が一番好きでした。というのも、主人公デルフィーヌの葛藤にたいへん共感できたからであります。他者と出会うということ、他者との会話、自分以外のあらゆる人物との交流におけるもどかしさ、それを起因とする”孤独”にスポットを当てた本作は、私の関心事と重なります。

たいへん思い入れのある映画になりましたので、本作の魅力をシェアしていきたいと思います。

(※若干のネタバレを含みます、おおいに執筆者の主観がまじっていることをご留意ください)
(音声はこちら→『美しき結婚』&『緑の光線』”世界”のひろがりは止まらない

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あらすじ

パリで秘書として働くデルフィーヌは友人とバカンス旅行の予定を立てていたが、目前になって友人にキャンセルされて落ち込む。バカンス中もパリにいるのが嫌なデルフィーヌは、友人であるフランソワーズの誘いでシェルブールへ旅立つが、環境になじめず早々にパリへと戻る。そして今度は元恋人が働いている山に出かけるが、一人でいる時間の孤独感に耐えられず再びパリへ戻る。そして3度目の旅先としてピアリッツの海を選ぶ。

引用:洋画専門チャンネル ザ・シネマ ストーリーより

物語は、主人公デルフィーヌの休日における対人交流のさまを追っていく、というものになります。特筆して大きなトラブルがあるわけでもなく、出先で出会う人々との変哲もない交流が描かれます。

注目していただきたいのは、デルフィーヌの心情です。リード文で記しましたとおり、私は本作のテーマが孤独にあると考えました。劇中、何度となく映されるデルフィーヌの涙の訳に関心を抱けるかどうかが、本作を楽しめるかの分かれ目になります。

それはもう私としては、どストレートに共感致すところでして、出来ることならそっと肩を寄せて涙を拭ってあげたいなと思いまくりましたよ。

「出会い」がもたらすものは、孤独か、はたまた福音か。

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会話について

人が出合い交流していくさまを描いた本作は、”会話”シーンが大変多くあります。
ここで、映画の内容をふれる前に、わたくし執筆者の「会話」について思うことに関する御託にお付き合いいただければと思います。

そもそも、会話とは何のためにするのでしょうか。

そんなことをよく考えてしまう偏屈な執筆者であります。学校や職場や親戚といった、人の集まる場において、人が会話をするということ。むかしから私はそれに違和感があったんです。気質か経験か、とにもかくにも依然として、この疑問が浮かんでは解決されることもなく、いつもと同じように会話をしている。どちらかと言えば、受け身で応えている感じです。

厄介なのが、このスタンスだといつの間にか人に嫌われてしまうリスクがあるということです。
私の経験則ではありますが、ドライすぎるのはよくないということを学びました。なので不愛想にならないように心がけています。

とくに女性に対しては、この心がけが重要だなと実感しております。
書籍『話を聞かない男、地図が読めない女』((著)アラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ (出)主婦の友社)において、男性と女性との会話の意味について記されていました。
女性 → 共感のため
男性 → 目的のため
とあります。人類が狩猟採集民族だった頃、コミュニティを維持するために、女性は守り育み、男性は狩りをしていた。調和を乱さないことが大切な女性と、狩りを成功させることを目指す男性ということですね。当時の生活の期間のほうが、現代のそれよりもはるかに長いため、依然として現代人の脳もその働きに変わりはない。そんなことが記されていました。

このことを踏まえると、私のうちから滲み出てしまうドライさばさばオーラが、女性が重きをおく調和をクラッシュしてしまう。だから気をつけねばということです。

ただ、会話を断固拒否しているわけではありません。雑談に積極的ではありませんが、こと「映画」について話せる相手には怒涛の弁舌が発揮されます。モチベーションもベラボーに高いです。

書籍『自分の価値を最大にする ハーバードの心理学講義』((著)ブライアン・R・リトル (出)大和書房)において、私のような内向型の人間の会話について記されています。”コア・パーソナル・プロジェクト”という心理学の概念が説明されており、内気な人間であっても、自分が価値のおくものについては、自分の性格を度外視して流暢な弁舌が発揮できるというようなことが書いてありました。

そんな感じで、会話するときと、しないときとのギャップが大きい執筆者なんですよね。

で、わたしは最近6ヶ月間ほど、ほぼ引きこもり生活を経験しました。人との出会いは店員さんくらいで、話す内容も「袋はいらないです」と「お蕎麦で」くらいでした。生れてからずーっと人間関係に苛まれていたがため、離職を機に孤独を追求したんです。

求めていた孤独な生活、映画や本の読み放題、人間関係のしがらみもなくノーストレスだぜっと、意気揚々でした。しかし、4か月目くらいになると、喜びよりも淋しさのほうが勝り始めてきたんです。これは発見でした。

わたしは一人では生きていけないという気づきです。

わたしは、人と出会いたい。
わたしは、人と会話したい。
わたしは、人を愛したい。

そして、この経験から、私にとって、人との「出会い」や「会話」というのは…

孤独に抗する愛情表現

という、落としどころになりました。

そんな私が鑑賞しました本作『緑の光線』。主人公デルフィーヌにたいへん共感できるんです。上記しました偏屈な悩みをデルフィーヌと共有しているような気持になれたんですね。彼女もまた、人が人と出会い、会話をすることに違和感を感じている。だから劇中、彼女の涙を、涙なしでは観れませんでした。

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孤独に抗する愛について

物語はデルフィーヌのバカンスの旅です。その間の他者との交流が映されます。友人と楽しむためのバカンスでしたが、唐突なキャンセルからはじまります。本作で描かれたのは、デルフィーヌの孤独な旅だったのではないでしょうか。

あらすじのとこで記しましたデルフィーヌの涙について、その訳は、デルフィーヌ自身が”孤独”を感じるたびに流れていたと解釈できます。
・友人とのちょっとした衝突
・散歩中、大自然での孤独
・スウェーデン女性との会話中
あらゆるシーンで散見されたデルフィーヌの落涙。

それは
他者とのズレ・衝突
⇒「出会い」「会話」への懐疑
⇒拒絶の恐れ
⇒孤独
というルーツをたどるものだったのでしょう。

そして、この孤独へのルーツの原因がデルフィーヌの”こだわり”も一端であることを、デルフィーヌ自身が自覚しています。慎み深さ、菜食主義、”軽い関係”への抵抗、等々。孤独というものが、他者から理解されないことであるならば、彼女の抱える”こだわり”が他者との交流において無下にされてしまうという実感の数々は、孤独感に拍車をかけます。

そして、孤独がつづくと、自尊心が下がるものだと思います。理解されないことの連続は、自分が社会から否定されているような気がして、自分の働きかけが世界に作用しないような気がして、自分の人生に意味が感じられないような気がして。

自尊心の低さが伺えるデルフィーヌの台詞もおおく、「自分のことずっと不満に感じて…」「自分が変なのよ」「捨てられて当然 自分が悪いのよ」「人が私を避けているとしたら 私に何の価値もないからだわ」「わたしは秘書 つまらない仕事よ」といった、発言のオンパレード。

しかし、彼女は言います。
…「一人はイヤ」と。

他者との交流に違和感があっても、他者とつながっていたいというデルフィーヌの想い。6ヶ月の孤独を経た私の実感と重なります。

この理想は、孤独に抗する”愛”だと私は言いたい。

ああ、心という心の燃える時よ 来い

これは映画の冒頭に掲げられたアルチュール・ランボーの言葉です。

「心の燃える時」というのをこの物語にあてがえて考えますと、その時とは、”愛”が孤独を凌駕している状態のことでしょう。「理想が夢みたいなの」というデルフィーヌの”こだわり”。それは、この世界には愛があると信じたい希望。

タイトルの「緑の光線」とは、自然現象のことです。また、小説の名前としても紹介されます。劇中では中盤に老婦人たちの会話のなかで、そのふたつについて説明がなされ、デルフィーヌが盗み聞くという場面ですね。

そこで…
「緑の光線を見ると、自分と他人の感情は分かるそうです」
「そのとおりよ、緑の光線を見ると、人の心をよめるのよ」
とあります。

これは、「緑の光線」を目撃すれば、他者理解ができるということであり、ここまでの文脈で言えば、孤独の克服です。「緑の光線」という奇跡が、デルフィーヌが待ち望む、”愛”の希望につながります。

果たして、デルフィーヌは「緑の光線」を目にすることができるのか、孤独を克服し、燃える愛を抱けるか。

映画本編をご覧になって確かめてみてください。

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まとめ

私にとって、映画のよさは「人間」がいかに”美しい”かに価値がおかれます。その下支えになるものが、物語の人物への共感。デルフィーヌに共感しまくった私にとって本作は大切な映画になりました。

・孤独を感じている人
・会話に違和感を覚えている人
・人を愛したい人
におすすめです。

ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。

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