
銀幕に閉じ込められた永遠の人――。
映画・ドラマ作品の感想は、国籍やジェンダーや生育によって違ってくるし、年齢や鑑賞の時期によっても、変わりゆくものだけれど、物語自体、その物語の人物は、不変のものとして、そこにあり続ける。映画の世界のなかの人物は、いつもの場所で、同じ立ち居振る舞いで、私を歓迎してくれる。決まって同じ表情で現れてくれるものですから、毎回安心しますし、一生信頼できる対象になります。ずっと美貌を眺めていたい、ずっと変わらぬ声音を聴いていたいと思うわけです。そんな折、“閉じ込められている”と思うときもあります。亡き俳優なら殊更。受ける印象は、孤独。途方もない絶対的な孤独。けれども、優しさが滲む孤独です。孤独をシェアできる相手がいるのは、心強い。その悲壮感に美しさを覚えている節があります。信頼されない、信頼できない苦しみ。愛されない、愛せない悲しみ。現実世界を生きる私のそうした切実な思いを託せるのが、銀幕に閉じ込められた永遠の人たちなのです。
ネットフリックス作品『ブラック・ミラー シーズン7 「ホテル・レヴェリー」』。美しかった。本当に美しかった。こういうのが観たいという好き要素がふんだんに詰まった物語でした。閉鎖空間にて魂のようなものが言葉となって浮遊する映画『去年マリエンバートで』を彷彿とさせる世界観を、サイエンスフィクションとして具現化、かつホテルという舞台はそのままに、映画俳優との邂逅をテーマに添えて、愛を描いた作品。忘れ去られたレトロ映画の世界のなかに、主人公一人が飛び込み、演じて、その作品をリメイクするさまが描かれる。銀幕に閉じ込められた永遠の人に、科学技術の力をもってして、実際に出会うお話です。映画の世界のなかの人物を散々観てきたけれど、映画の世界のなかに入れたら…と想像したことは一度もなかったために、今回の鑑賞は特別なものとなりました。科学の進歩にイマイチのれない私ですが、この科学技術はぜひとも実現していただきたい。そして、どうか私を愛でてほしい。…この願望は甚だ独りよがりか。わきに置き、本題。物語の人物が自意識を持ったら、という筋書きです。ドロシー、ドロシー、ドロシー!文字通り幽閉されていて、それを自覚しながらも、「月の光」を奏でる彼女は、紛れもなく優しさと孤独が滲む人でした。静寂に包まれた空間に、二人だけの呼吸が染みてゆく。他者からの悪意あるまなざしも、不愉快な嘲笑もなく、全幅の信頼をよせる相手だけが視界を占め、ありとあらゆる情緒をものにする。醒めない夢のなかで、明けない夜の端で、美しい人と舞踏する。笑い、慈しみ、溶け合って、「愛してる」「私も、愛してる」と、絶対孤独に晒されながら、それでもこのときが永遠になればいいと願って睦事をする。物語の人物に出会う、何度も何度も何度も。銀幕を前に、物語の人物の虜となる。心穏やかな囚人の気分で、心を込めて、君の瞳に乾杯。
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