【ドラマ】『ゲーム・オブ・スローンズ』私の名前と物語

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人々を団結させるのは?軍か?金か?旗印か?―物語だ

ゲーム・オブ・スローンズ 最終章 episode6 ティリオン・ラニスターの台詞

執筆者はさまざまな物語を、映画やドラマ、小説をとおして感じてきました。

この言葉のとおり、物語は、人の心におおきな影響をもたらすものだと認識しております。

あなたは、どんな物語に魅了されてきましたか?

きっとこの話題を持ち出せば、誰もが時間を忘れて自分の知りうる物語について語ることができるでしょう。おもしろい話し、怖い話し、悲しい話し、美しい話し…。

実話であれ、創作であれ、私たちを魅了する物語の数々が、私たちの人生や社会に影響を及ぼしている。

その事実を、執筆者はたいへん美しいことであると思っております。

さて、この記事では、そんな美しい物語のひとつ、ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』の魅力をしたためていきます。

あくまで執筆者の感じたことを記したものとなります。紹介とか考察などではなく、いち感想としての文章になること、原作未読でかつ物語の内容を深く理解しているわけでもない執筆者(雰囲気をたのしんで鑑賞していた)が記すことをあらかじめご承知おきください。

では、参ります。

(※若干のネタバレを含みます、おおいに執筆者の主観がまじっていることをご留意ください)

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『ゲーム・オブ・スローンズ』の魅力

いや~、ほんとうに面白かったです。
season8まである超大作ですね。この話の長さも「物語」としての説得力になっています。

以下に、本作の魅力をしたためていきます。

スケールの大きさ

とにかくスケールが大きいです。

約1時間の尺のドラマを1シーズン10話(season7は7話/season8は6話)×8ですからね。とんでもないでございます。それで美術も抜かりない。映画『ロード・オブ・ザ・リング』に比肩する世界観の構築に成功しています。それをずっと見してくれるわけですから、しっかりと固められた世界観を飽きることなく感じることができるんですね。

執筆者は、さいしょ『ロード・オブ・ザ・リング』のファンタジーを期待して本作を鑑賞したのですが、いい意味で裏切られました。というのは、アクションとかファンタジーのかっこよさや美しさで魅せるというよりは、会話劇による心理戦みたいな、ドラマな部分を売りにしていて、「あ、そっちなのね」ってなる。

有象無象の醜い「人間」をリアルに描く、それが本作の特徴一つ目です。
ゴラムがたくさんいるって感じですね。

現実的に予算があるわけで、戦闘シーンとかを大幅に端折ってるんで、やっぱりドラマだよなあ、って思っちゃう時もあるんです。ただ、それによって面白さが損なわれないのは、本作の魅力が会話劇なんかで見受けられるような人間ドラマだから。

現実を生きる私たちが日々感じているような喜怒哀楽とまったく同じものが、超大作の物語として映しだされている感じですね。

シーズンを追うごとに面白くなる

海外ドラマをみていると、はじめは面白かったけどシーズンを重ねるごとにそうでもなくなる、ってことがあるんです。これまた超大作であります『ウォーキング・デッド』に中だるみを感じなかったと言ったら嘘になります。くわえて、あ、手を抜いている回だな、って思うこともあります。

ただですよ、本作『ゲーム・オブ・スローンズ』はですね、それがほぼないと感じました。

シーズンが進めば進むほど面白い、それが本作の特徴二つ目です。

だから、season1よりseason6とかのほうが断然おもしろいんですね。本作を観だした人がseason1とかseason2で挫折しそうになるなってのは可能性として考えられます。前述したようにファンタジックなのを期待したら肩透かしくらいますからね、とくにはじめのほうは。でも、そこは我慢してほしい、どんどん面白くなるからって言いたい。

その理由を考えますと、後述するのですが「”親近感”が増すから」だと思うんです。

物語においてキャラ立ちは大切です。

キャラ立ち→自らの個性を際立たせ、1つの独立したキャラクターとして他者に認識させること(Wikipedia)

共感したり反感したり、物語の人物に観者の人生や価値観を照らして、自分好みのキャラクターがわかってくる。すると、そのキャラの物語における立ち位置や行く末にハラハラドキドキできて面白い。シーズンを重ねるごとに親近感も増していき、物語がおもしろくなっていく、っていう感じですね。

抑制されたロマンチック

物語には、ロマンチック、すなわち情緒がおおきく揺さぶられるような展開があるわけです。観者もそれを求めて物語に触れようとする。ただ本作は、それを突き放す、もしくは裏切ります。

主役級と思っていた人物があっさり死んだり、嫌な人物がちゃんと嫌を発揮し続けたり、かと思ったら嫌なやつじゃなかったり。予定調和を崩してくるんですね。

要は、”美談”で済ます物語ではない、ということ。それが本作の特徴三つ目です。

徹底してリアル。ロマンチックを抑制し、淡白で味気ない人間の諸相を前面に押しだしています。

ですが、前項の「シーズンを重ねるごとに面白い」と重なるんですが。物語全体のロマンチックを抑制しているからこそ、たまにあらわれるロマンッチクが相対的に強調されるんですね。

ここぞとばかりに、
一人のキャラクターが勇士をみせたり
ここぞとばかりに、
ドラゴンにまたがり飛翔したり
ここぞとばかりに、
会話劇ばかりの物語に音楽が挿入されたり
ここぞとばかりに、
頭が潰されたり
ここぞとばかりに、
壮大な合戦シーンが始まったり
などなど。

ロマンチックが抑制されてきた分(”各人物が成長だったり、暗躍だったり、貫徹だったりしてきた分”といってもいいでしょう)、ためてためてためてきた分、それが花開くときにロマンチックが美しくロマンチックしているんですよね。

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「映画」ではだせない「ドラマ」の良さ

VODのおかげで、執筆者は世界の映画のみならずドラマも多く観るようになりました。
で、思うのが「沼る」という感覚を味わえるのは、映画にはだせないドラマの特徴だということ。

沼る理由は、先述した”親近感”。
日本ドラマに比べて、海外ドラマは話数がおおいです。seasonごとに括られるのは、日本ドラマにはなかなかありませんよね。この話数のおおい海外ドラマは、観者に”(キャラクターもしくは物語それ自体への)親近感”を増幅させることができる。それにより映画以上に「沼る」。

以前、とりあげたイギリスドラマ『フリーバッグ』は、その特徴を前面に活かした物語でした。
(あわせて読みたい記事→【Amazonオリジナルドラマ】『フリーバッグ』コメディでなきゃやってけない

心理学の概念に”単純接触効果”というものがあります。

繰り返し経験する人や事象に対して「好き」という感情が生じること(…)交流回数は好意感情を醸成することが確認されている。

書籍『心理学 新版 (New Liberal Arts Selection)』(著)無藤 隆,森 敏昭,遠藤 由美,玉瀬 耕治、(出)有斐閣、p425

というもの。

ドラマを追うごとに、この効果が発揮され、観者は物語をより好意的に観るようになる、転じて沼る。

『ゲーム・オブ・スローンズ』は、登場人物が把握できないほどに多く、個性をもったそれぞれのキャラクターがひらかれた世界のなかで活躍します。そんな彼らの姿を観続けることで、season1よりseason2のほうが…season8のほうが、という具合に、キャラクターに心底惚れ込んでしまう。

シオン・グレイジョイを好きになると、だれが想像していたことでしょう!!

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私の名前と物語

執筆者は、リード文には「おおいに執筆者の主観がまじっていることをご留意ください」という文言を必ず記事に載せるようにしています。記事をしたためるうえで、もっと言えば生きるうえで、”主観”を大切にしたいと思っております。それこそ、人間のおもしろく、美しい部分であると肯定したいんです。

それは物語にふれるうえでもよく思うことでありまして、

自分の想いや考えが、
ちゃんと”変化”をもたらしているという感覚

自分がこの世に、
ちゃんと”存在”しているという感覚

みたいな感じを、感じることのできる物語を求めていますし、そんな人生をおくりたいと思っています。

メンタルヘルスのために、自我やエゴといわれるような概念と距離をとるほうが健全であるとか、無我を肯定するような在り方を推奨するものを書籍で読んだことがあるのですが、私には到底受け入れることのできないマインドセットだな、って思うんです。

もっと欲張っていい。

自分の人生なのだから、出し惜しみせず、ちゃんと自分の物語のためを、心の底から想い、生きる。

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アリア・スターク。

彼女は物語で、「顔のない男たち」「誰でもない者」になることを信奉する集団で出会うことになります。上記しました”自我やエゴと距離をとる”だったり”無我”なんかに近い感じなんですね。それで暗殺とかをしてる組織なんです。

一時はアリアもそこに身を置き、その教えに従います。

しかし、season6,episode8で、

ウィンターフェルのアリア・スタークだ 故郷に帰る

ゲーム・オブ・スローンズ season6 episode8 アリア・スタークの台詞

と言い、その場から立ち去ります。

サイコーーーーーーーー!!!

ってなるのは、執筆者だけですよね、すいません。こんな文章で、良さが伝わらないことは重々承知です、ぜひ、鑑賞してみてください。

良さは伝わらなくとも、言わんとすることは伝えたいので、したためますね。

”名前”って重要だなって思うんですよね。
人の名前、街の名前、観念の名前などなど。
名前の呼称は、その”存在の価値”を肯定する営み、だと思うからですね。

ヴィム・ヴェンダース監督の映画『都会のアリス』についての記事で似たことを記しています。
(あわせて読みたい記事→『都会のアリス』存在を確かめ合う2人

家族の名前を知っているけれど、いまブラジルの公園で遊んでいる少年の名前は知らない。見渡す限りの草原。生い茂る雑草は、ほんとうに雑草という名前なのだろうか。微笑みが愛おしかったあの人の名前を忘れることなどあるのだろうか。

価値あるものには、”名前”がある。

そんな尊い”名前”。自分の”名前”を手放していいはずがない。

アリア・スタークは
アリア・スタークなのであって
シオン・グレイジョイは
シオン・グレイジョイなのであって
ダリル・ディクソンは
ダリル・ディクソンなのだ。

物語には、名前をもつ人物がいて、変化する。その変遷を辿ることができる。
ロマンチックに変わり続ける彼らの姿をみて、自分もそうあらねばと思える。
むかしの自分、いまの自分、これからの自分、”変化”しているということ、その美しさを感じることができる、それが物語。

season1のアリア・スタークとseason8のアリア・スタークはまるで別人のようです。
体系も面もちも性格も。変わりゆく、その可能性。執筆者はこの”変化の希望”がたいへん好きであります。

人は変われる。変わっている自分は確かにいる。自己連続性にとらわれていい。別人を演じることも、自然と一体化すことも、酒に忘却を求めなくてもいい。

もっと、欲張っていい。

変化し続ける人生を肯定していこうじゃありませんか。

そうでない人生について、ルパン三世の一味、次元大介ならこう言うでしょう。

「ロマンに欠けるなぁ」
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まとめ

いろんな人物の物語を堪能することのできる素敵な作品です。

あなたは誰が好きになるか、嫌いになるか。
そして、それは何故なのか。自分の”物語”のヒントになるかもしれません。

・壮大な物語がみたい人
・濃密な人間ドラマが好きな人
・西洋の赴きが好きな人
におすすめです。

ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。

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