映画『アンビリーバブル・トゥルース』の感想/紹介記事となります。
ハル・ハートリー監督作品です。アメリカのインディーズ映画界で有名な監督であり、わたしが大っっっ好きな映画監督。
学生の頃の映画館のアルバイト先にわたしと同じく映画好きな知り合いがいまして、その人にハル・ハートリーを教えてもらったんですよね。「アメリカのインディーズ映画の旗手がジム・ジャームッシュってのは気に食わねぇ、ハル・ハートリーだろ」というようなことを語っていたのを思い出します。当時のわたしは映画監督で作品を観るという習慣がなかったので、こだわりのある人に出逢い新鮮でした。
それで『はなしかわって』と『アンビリーバブル・トゥルース』を鑑賞。…衝撃をうけました。なんだこの映画は!これが作家性というやつかっ!と笑
それ以来ハル・ハートリー監督作品は見続けていて、2019年12月にハル・ハートリー監督の短編映画特集を映画館で観ましたね。
そこで今回の記事では、ハル・ハートリー監督の日本で観れる作品はほぼ観ているわたしの一番のお気に入り映画『アンビリーバブル・トゥルース』を紹介していきたいと思います。
(※若干のネタバレを含みます、おおいに執筆者の主観がまじっていることをご留意ください)
(あわせて読みたい記事→【映画監督】特集 映画監督で選ぶおすすめ作品5選【おすすめ】)
あらすじ・解説
ニューヨーク・インディペンデント映画界を代表する映画作家ハル・ハートリーが1989年に発表した長編デビュー作で、刑務所帰りの青年と17歳の少女の恋をオフビートなタッチでつづったラブストーリー。ニューヨーク郊外の住宅地リンデンハースト。刑務所から出所してこの街に舞い戻ってきた青年ジョシュは、腕を買われて自動車整備工場で働くことに。工場経営者の娘オードリーは、ミステリアスな魅力を持つジョシュに惹かれていくが……。日本では1991年に「ニューヨーク・ラブストーリー」のタイトルでビデオ発売され、2014年にハートリー監督作4作品を集めた特集上映で劇場初公開。
引用:映画.com
ハル・ハートリーの作品は、人生の些細な美しさを感じさせてくるんですよね。
身近にあるもの、誰もが考えうるもののなかにある美を面白く、おかしく、わかりやすく、そして徹底的にみせてくれる
そんな印象です。
信頼もしくは合理性
この映画がどんな内容だったかをひとフレーズであらわすと…
”愛による信頼”もしくは”金による合理性”、となります。
信頼をもってして他者と関わる者と金をもってして他者と関わる者との相克が描かれています。
物語では人物が金で取引をするシーンがたびたび映されます。
たとえば…
・オードリーの進学が父との金の取引で
決定されている
・カメラマンのビジネス
・ジョシュとオードリー父との金での
結びつき
・エメットのオードリー独占欲
(金ではありませんが)
金、すなわち打算的な人間との関係性をあらわします。合理的に生きようと思いすぎている節のある人物が強調されて描かれているんですね。これが金をもってして他者と関わる者についてです。
これに対比されるように、信頼をもってして他者と関わる者が描かれます。それが、ジョシュとオードリーの関係性です。彼らは、金に無頓着で、どことなく悠然としているんですね。
たとえば…
・ジョシュが仕事探しで
「給料は低くてもいい」的な発言をしたり
・オードリーが全財産を平気で父にあげたり
という描写があったりするように、プライスレスな関係性に価値をおいた人物として映されます。そして、ふたりの関係性は信頼や愛と形容したいものによって結ばれている、と言いたい。
このように、物語上で…
金をもってして他者と関わる者
⇒オードリー父、エメット、カメラマン
信頼をもってして他者と関わる者
⇒オードリー、ジョシュ
といった具合に、
人間関係の基盤は「金だ」という者と、
「信頼だ」という者とが描かれます。
そのうえで物語が展開していきます。
で、金をもってしてつながる者への警鐘と信頼をもってしてつながる者への肯定というメッセージが込められた物語となっているんだと思います。
打算的に生きる人間を滑稽にとらえてみせているのも面白いです。仕事や人付き合いを属性主義に基づいて決定するものの滑稽さ。犯罪者、修理工、神父、カメラマン、モデル、等々。”仕事”を代表的に、カテゴリーにステレオタイプを持ち込むという差別が強調されて描かれているんですね。
また、そうした”属性”を所有、誇示しようとするものをユーモラスにあらわしています。
・オードリーを”所有”する父やエメット、
カメラマン
・ジョシュを”犯罪者のステレオタイプ”で
うわさ話に花を咲かせる住民
あらゆる先入観や偏見をもってして語らう彼らを嘲笑している映画でもあります。エメットの喧嘩っぱやさのゆきつく先は、オードリーが危惧する「爆発」ですからね。この物語は、合理性を重視して属性主義的に人間関係を構築する人々へのアンチテーゼになっており、そして、”愛による信頼”のテーゼを肯定します。
意味(内発的)の創出
↕
属性(外発的)の獲得・所有
愛や信頼をめぐり、ジョシュの”真実”に迫っていくのが物語の本筋。ジョシュが歴史に関心をもつように、人間関係において大切なことは過去を語ることにある。取り替え可能な相手と繰り返される”不毛な会話”よりも、損得勘定が度外視された人間関係の”意味ある会話”をしよう。
人が真実を語るとき、何者にも代えがたい信頼で結ばれる
この尊さに満たされた映画でした。
ジョシュのレンチ
この映画のなかで好きなシーンについてを語りたいと思います。
ジョシュの”レンチ”を返却するためにオードリーが彼の家を訪れるシーンです。家のドア前の階段に腰掛けるふたり、ほかの映画で観たような既視感のあるショットですが思い出せない。
そこでオードリーが言います。
「時間ならいくらでもある」
オードリーは世界の終末を考え、生きる意味を疑う、ちょっと風変わりな女性です。そんな彼女が、時間はたくさんあると言ってジョシュの話を聞きたがるんですね。
なぜか。
それは、ジョシュの話だからです。
そのときだけは、オードリーは、ジョシュに話してほしい⇒聞くことに意味があると実感している、ということだと思うんですね。
オードリーの世界に対する諦念が、ジョシュへの愛に凌駕された瞬間を、この台詞ひとつであらわされている。
で、オードリーが聞きたがるジョシュの会話の内容が”遊星歯車装置”の説明なんですね、文学を嗜む彼女にとって関心のない分野であることは自明。されど、聞きたい、ジョシュの語る言葉だから。これこそ愛の冥利、って言いたくなりますね。
オードリー「人が興味のあることについてを語るのを聴くのが好き」的なことを言います。ジョシュ「なにかに献身している人は尊敬する」的なことを、まえのシーンで言います。
要するに…
”人生に自分なりの意味をみいだして生きること”の肯定、だと思います。
ほとんどのことが無意味なこの人生にある有意味、そこに情熱を注ぐことのすばらしさ、なんかを言っているのではないでしょうか。
まえに、映画『(500)日のサマー』の記事をしたためました。
(あわせて読みたい記事→【映画】『(500)日のサマー』トム&サマーのまなざし【伝説の95日目】)
この映画に登場するトムとサマーの会話でも上記したことと同じようなシーンがあります。トムの建築家の夢についてを聞きだすサマー、そんなサマーの嬉々とした表情が映されます。
損得勘定や合理性を度外視した行動をとるとき、そこに生きる意味や愛の何たるかがあるのかもしれません。
あと”レンチ”が最高です。
ジョシュのレンチ、オードリーが拝借したレンチ、オードリーがジョシュからもらい受けたレンチ。オードリーがレンチを使うことはないのに、くれると言われた時のオードリーの微笑み。
合理性を度外視した”意味”
大切にしていきたいものですね。さすがにレンチと一緒に寝るのはかわいすぎるけど。
まとめ
ハル・ハートリー監督の映画『アンビリーバブル・トゥルース』を紹介しました。
このあとにつくられた映画『トラスト・ミー』も同様なテーマでした。今作を楽しめたら、この作品もおすすめです、というかハル・ハートリー監督作品は全部おすすめです。
・人間関係についてを考えたい人
・インディーズ映画に興味がある人
・オフビートな映画が観たい人
におすすめです。
ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。
(ハル・ハートリー監督作品『アンビリーバブル・トゥルース』『トラスト・ミー』『シンプルメン』収録)
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