映画『イニシェリン島の精霊』の感想/紹介記事となります。
監督/脚本はマーティン・マクドナー。アカデミー賞をはじめとした数々の映画祭で賞を獲得した映画『スリー・ビルボード』で有名な監督ですね。わたしもご多分に漏れず、こちらの作品が好きでしたので、最新作である今作を楽しみにしていました。
たいへん面白かったですね。人間の心理を覗いているような気持になりました。
メインの2人を演じますのが、コリン・ファレルとブレンダン・グリーソン。どちらもハリー・ポッターでお馴染みウィザーディングワールドのキャラクターを演じているという共通項があります。ただ、本作は魔法の世界とうって変わって、たいへんリアルな人間ドラマ。
コリン・ファレルの凛々しい眉毛が「ハ」の形をとり続けるほどに人間の心理をえぐってくるような映画となっております。
この記事では、本作で語られていることが何だったのかを考えていきたいと思います。
(※おおいに執筆者の主観がまじっていることをご留意ください)
(音声はこちら→『イニシェリン島の精霊』断ち切れぬ距離)
あらすじ
1923年、アイルランドの小さな孤島イニシェリン島。住民全員が顔見知りのこの島で暮らすパードリックは、長年の友人コルムから絶縁を言い渡されてしまう。理由もわからないまま、妹や風変わりな隣人の力を借りて事態を解決しようとするが、コルムは頑なに彼を拒絶。ついには、これ以上関わろうとするなら自分の指を切り落とすと宣言する。
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孤島で暮らす住民の限られたコミュニティ内での人間ドラマ。平穏無事な島での生活は、のどかで人によっては憧れを抱くでしょう。しかし、今作で描かれるのは、島での優美な生活ではなく、そんな島においてさえ巻き起こる人間の争い。それがどんなに小さなものであったとしても、次第に不穏なムードに島全体が包まれていく。
きっかけは、「拒絶」。
パードリックが友人コルムからの突然の拒絶により、内地の戦争さながら”心の戦い”が勃発していくのです。
人間関係についてを扱った今作は拒絶を端緒として、人が人に与えてしまう影響についてを淡々と着実に描き切ります。ねちねちとした人間の諸相を切り取る点で『スリー・ビルボード』と共通しています。この”ねちねち感”がいい。どんなに小さなものであっても、人間の執拗さが物語をつくっている、というのはリアルですし、身に覚えもある。
そこに芽生える葛藤とは、人との”距離”についてなのだと考えさせられます。
断ち切れぬ距離
悩みのおおくは人間関係が原因である、とはよく言われることです。本作を観ることで、そのことを改めて納得することができます。
コルムからの唐突な「拒絶」が、パードリックのそれまでの平凡な日常に多大なる悩みを発生させる。物語は「拒絶」からはじまる2人の関係性のひずみから生じた不協和音が、彼らとその周りを巻き込んでいく、という展開になっていきます。
特徴的だなと思うのは、派手にトラブルがあるわけではなく、静かに淡々とコルムの拒絶とパードリックの動揺を描いている点。すごく繊細なんですよね。傍からみれば気づかないような出来事です。ですが、そんな小さな出来事に第三者からは見えたとしても、当人(パードリック、コルム等々)にとっては大きな出来事であるというのが、映画全体を繊細さで満たすことで却って際立っているように思います。
そもそも、人はなぜ会話をするのか。
映画『緑の光線』をとりあげた記事で、そのことについて私の御託をしたためています。
(あわせて読みたい記事→【映画】『緑の光線』孤独に抗する”愛”【エリック・ロメール監督作品】)
結論としては、孤独が淋しいから、慰めるための愛情表現だ、という落としどころにしております。
しかし、本作では、そのことを前提としてそれでも「拒絶」を選ぶコルムが描かれているように思うんですね。
人から冷たい態度であしらわれてしまうと、自分という存在が社会ないし世界から無下にされている感覚に陥る。それが自尊心を低下させ暗い気持ちになる…。このことを自覚している人間たちが、お互いにお互いが慰め合うこと(拒絶しないこと)で、なんとか成立させているコミュニティ。
そのコミュニティのなかでも友人であったコルムの存在はパードリックにとって大きな”期待”の対象だったでしょう。関係性の強さに比例して期待は膨らむ。そしてその期待はしばしば”依存”となって関係を強固なものとなっていく。
こうした基本的な人間関係の前提としても、コルムが「拒絶」を選んだのは何故なのかを考えるのが本作を観るうえで外せないポイントだと考えます。
わたしの回答は、生きる意味のため、となります。
コルムは「遺るものを創りたい」的な発言をしています。
以降、音楽づくりに励んでいるんですね。そんな彼にとってパードリックとの実りのない交流は邪魔でしかありません。コルムは自分の人生を意味あるものにしたいために、意味なきパードリックとの交流を絶ったと考えられます。
人生の意味 VS パードリックとの交流、という構図を呈するわけですね。
議論の余地はありません。コルムの断固「拒絶」がそれを示します。すこし突飛ですが健全な判断です。
しかし、そこからパードリックの”執着”がはじまるのです。
ネタバレは避けたいので具体的なことは記しませんが、とにかくコルムが大きな代償を払うほど、パードリックの執着はエスカレートしていきます。
そして、この映画のテーマ性がだんだんと見えてきます。
それが、個人の人生をからめとる他者の影響、です。
自分の人生を大切にしたい。そのためには他者からの”期待”を拒んででも生きる強い我が必要です。本作でその貫徹を試みたのがコルムでありまして、コルムにとってパードリックの”期待”や島の”コミュニティ”は、それを阻むものとして認識されたのだと思います。
課題は、他者との”距離”でしょう。
この映画で描かれたのは、自分の人生に往々にして影響を与えてくる他者との”距離”がいかに調整不能で、奇想天外なものなのか、ということだったのではないでしょうか。
まとめ
マーティン・マクドナー監督。人間の”ねちねち感”を物語の醍醐味として描く方だなと思いました。これからも注目したい映画監督です。
・哲学が好きな人
・人生の意味を考えている人
・人間関係に悩んでいる人
におすすめです。
ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。
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