映画『恋する惑星』の感想/紹介記事です。
こちらは香港の映画監督、ウォン・カーウァイ監督によって手掛けられた1995年に日本公開の作品ですね。予告編などを見てみると、その時の若者に熱狂をあたえたみたいな感じでして、当時を盛り上げた映画だったようです。
(あわせて読みたい記事→【ウォン・カーウァイ監督作品】『天使の涙』あの暖かさが永遠になるように)
昔から存在は知っていて、観たいと思っていたのですが、なぜか観ていなかった。2022年8月19日より、『恋する惑星 4K レストア版』が上映されることを知り、それでもU-NEXTで観れちゃうから、観ちゃえと、待ちきれず自宅で観ました。
…失敗しました。
映画がおもしろくなかったわけではありません。この映画を映画館で観たかった、という失敗です。
最高の映画でした。ウォン・カーウァイ監督の名を世界に知らしめた、というのも頷けます。
なんか、こう、映画でしか味わえない感動だよなぁってなるんですよね。
だから映画館で観たかったけど、後の祭りですね。三回目をちゃんと映画館で観ようと思っております。
本日はそんな『恋する惑星』のよさをしたためています。物語が2部構成みたいになっていて、4人の人物の群像劇です。前半(2人)と後半(2人)で違う人物のラブロマンスが展開されていますので、両方の見どころポイントを示せたらなと思います。
(※若干のネタバレを含みます、おおいに執筆者の主観がまじっていることをご留意ください)
(音声はこちら→『恋する惑星』愛の儚さ美しさ)
恋の期限
前半の部、ブロンド女性と刑事223(男性) のお話から。
ブロンドの髪をした女性と刑事223番の交流が描かれます。雑踏の中、行き交う人々を縫って歩くブロンド女性。失恋のショックを紛らわそうと昔知り合いだった女性に電話をしまくる刑事223。
このふたりが主軸となる前半では…
「取り替え可能」の儚さと、
「取り替え不可能」の美しさ
を描いているように思いました。
人は誰からかに取り替え可能な存在として扱われた時に、悲しい思いをするものだとおもいます。
世界にただ一人、そうした唯一性が、くわしくは説明できませんが、美しいもの、として認識される。
この唯一性が壊れることなく続くことが、恋愛の前提だと解釈しております。
人から愛される/愛する
⇒「あなたは掛け替えのない人よ」
⇒「きみはわたしの世界だ」
みたいな感じですね。
で、この恋愛観を…
刑事223 ⇒ 肯定
ブロンド女性 ⇒ 否定
というかたちで対応している。
刑事223は失恋の日から、相手(メイ)が好きだったパイン缶を自分の誕生日までの一か月間買い続ける。
…という変わった行動をしています。
パイン缶 → メイの好物、すなわち取り替え不可能なもの(刑事223にとって)。たかがパイン缶だけれども、刑事223にとっては特別なものになっている。メイの好物であるパイン缶を一か月食べ続ける、という行動に先述した恋愛観の肯定が伺えるわけです。
一方、ブロンド女性に関して。
彼女も物を売買するシーンがあるのですが、買っているのがスーツ、サングラス、バッグなど。金で取り替え可能なものを購入している。ここに刑事223との対比があります。
また、ほかの対比として、ふたりが人探しをしている描写があります。
それぞれ違う理由でして…
刑事223は、人を愛するため
ブロンド女性は、人の”期限”を切らすため
こんな感じで、ふたりの人物を丁寧に描き、終盤でふたりの出会いのシーンに移ります。バーのふたりの会話でのブロンド女性のセリフが印象的。刑事223が、人を理解したいというニュアンスのことを言ったのに対し、ブロンド女性が語ります。
「理解なんて空しいわ、人は変わるから」
引用:映画『恋する惑星』ブロンド女性のモノローグ
人は変わる、そう確信しているブロンド女性の独白です。
永遠のものなどない → いつかは期限が切れる → 取り替え不可能なものなどない
ということでしょう。
これが、リード文で記しました儚さです。
わたしもそう思うんですよね。人は変わるから取り替え不可能な存在などいない、という着地。
この映画は、
愛の儚さと美しさを描いた作品でした。
儚さをブロンド女性が担い、
美しさを刑事223が担っている。
ブロンド女性との一室で、刑事223がパイン缶ではなく、いろいろな食べ物を食すシーンに儚さが美しさに勝るのをみます。
美しさが勝るのは、独りよがりな愛の密閉にすぎないのだ、と余韻をのこし、話が後半へと譲られます。
変化の肯定
後半の部、フェイ(女性)と刑事663(男性)のお話です。この後半の物語は、前半への回答として用意されたものだなと思いました。
つまり…
儚さの肯定、そのための変化の肯定です。
ブロンド女性が実は黒髪ロングヘアだったように、刑事223が25歳の誕生日を迎えたように、人は変わることの儚さが前半の物語で描かれたわけです。
そして、それを肯定するのが後半の物語。
フェイが失恋に傷心する刑事663に変化を促す構図になっています。促し方が素敵です。というのも、刑事663の部屋に押し入り物理的に変化させてるんですよね。
部屋 = 心 (刑事663)
という比喩がポイントですね。
フェイが刑事663の部屋の掃除、模様替え、物品補充をするという素敵なシーンがあります。これは失恋に傷心する刑事663の心を癒し、変化させる試みとして描かれている。
ちょー最高です。
やっていることは、ぶっとんでいてホラーなんですが、演技と音楽とで、ちゃんとラブロマンスとなっている映画ならではのシーンだと思います。
フェイが自分を夢遊病と称し、”刑事663の心のなかで夢をみる”っていうのもオシャレ。仕事そっちのけで、夢をみるフェイの姿に、夢に現実が負かされるラブロマンスをみるのです。
部屋に留まる(失恋相手を待つ)刑事663
旅を夢みるフェイ
両者の対比は変化できない者&変化する者とであらわされ、これは前半の部の刑事223とブロンド女性に対応します。
期限があると承知のうえで、それでも、確かにある愛のほとばしりを抱きたい
そのための変化だ。
フェイの無鉄砲さに、ブロンド女性のそれとは違う変化の美しさをみることができるのです。
変化に希望がもてる。
なぜなら、ここは恋する惑星。
かくして刑事663は変化することができるのか。ぜひ、映画で見届けていただきたいと思います。
まとめ
”現実”を圧倒する”愛”が描かれた素敵な映画『恋する惑星』でした。
物語の刑事がふたりとも失恋していますね。”追う”存在が、”待つ”立場になっているのは皮肉でしょうか。愛が”役割”を凌駕していることが際立っていて、かえって素敵です。
愛はやっぱりいいものですね。
・恋愛したい人
・変化したい人
・斬新な映画が見たい人
におすすめです。
ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。
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