【Amazonオリジナルドラマ】『モダンラブ・東京』愛とは何か

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愛とは何か?

わたしの持論をさきにお伝えすると…

孤独に抗する人間の表現

となります。

孤独にはじまる闇のシナリオから、光のほうへと遠のくための人間のいとなみ。それが愛なのだと考えます。

わたしが幼いころから映画が好きだったのは、この難しい質問について、わたしなりに考えていたかったからなんだと思うんです。

そして、今回したためます…
AMAZON ORIGINALドラマ『モダンラブ・東京』では、この質問にあらゆる物語をとおして挑んでおりました、ほんとうに素敵です。

マメリカで制作されたドラマ『モダン・ラブ』を原案としておりまして、
(まえの記事です、よしなに→【Amazonオリジナルドラマ】『モダン・ラブ』season2 episode6 感想)
『モダンラブ・東京』はこちらのリブート作品にあたります。

わたしが好きなジョン・カーニーが制作に携わっていたオリジナル版をもとにした日本版に、わたしが好きな池松壮亮さんが出演されているということで、すごく楽しみにしていました。

この記事では、『モダンラブ・東京』のepisode5についてをしたためていきます。

(※おおいに執筆者の主観がまじっていることをご留意ください)

(あわせて読みたい記事→ 特集 Amazonオリジナル作品5選 ”変化”のための人間ドラマ
(音声はこちら→『モダンラブ・東京』愛とは何か

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美醜について

たまたまこのドラマを鑑賞する前に、書籍『私の幸福論』(著)福田恆存 (出)ちくま文庫、を読んでおりました。

この本は、あらゆる主題について著者の思想が記されたものです。それで、いちばん初めの章のタイトルが「美醜について」なんですね。

美醜という社会の、世界の”事実”について記されています。

人は美しく生まれついただけで、ずいぶん得をする、あるいは世間でいう幸福な生涯を送りうる機会に恵まれている、と。

引用:書籍『私の幸福論』(著)福田恆存、(出)ちくま文庫、p18

顔の美醜にかぎりますまい。こういう心理はいたるところに見られます。世間に出ていって、金のあるものが貧乏人より、他人からちやほやされるという事実は、どうしても否定しがたいことです。貧富の差をなくしても、また他のところで優劣が出てくるでしょうし、どんな世の中がきても、優者と劣者とがある以上、優者のほうが劣者よりもてはやされるということは、どうにもしかたのないことなのです。

引用:書籍『私の幸福論』(著)福田恆存、(出)ちくま文庫、p20

著者の主張は、わたしのこれまでの人生で痛いほど味わってきた経験と重なります。

この残酷な現実から、目をそらさずに、受け入れたうえで生きることが大切であり、受け入れずに生きる人間のひがみこそ、この上なく残酷なものだと記されています。

そして、このことは美醜が愛情の矛先、愛する人の選定におおいに関わっているということをわきまえなければならない…ということにつながるものだと思います。

愛の物語についての感想をしたためる前だからこそ、このことは重要だと考えます。
実際、episode6では如実にそれがあらわれています。

ただ、だからといって直ちに、愛が限られた人にのみに許されたものとなるわけでもない…というのが今作で示された愛の広さ、深さでもあります。

いま、読んでくださっているあなた自身にも、愛すべき対象とそうでないものとの基準があって、その基準が、人間には優劣が厳然としてあるのだということを示す明確な証左。それをふまえたうえで、それでも人を愛する、信じる。

愛は残酷、ということを前提に、
承知のうえで、孤独に抗う。

わたしはそう考えます。

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愛は幻なのか

7つの物語があるうち、episode5が大変おすすめしたいものでした。リード文で記しました、わたしの愛についての持論と重なり合うテーマ性を感じたからであります。

監督・脚本が黒沢清さんです。
映画『カリスマ』では、ある男性が不穏な空気に包まれた森をさ迷うさまが描かれていました。神秘的ともいえるその森は、社会から切り離された世界。

この”異質な世界観”は黒沢監督の手掛ける物語におおく見られる特徴だと思っておりまして、今回の作品でも、その特徴が盛り込まれ、”愛の異質さ”となって表現されていたように思います。

episode5「彼を信じていた十三日間」あらすじ

TVディレクターとして働く篠原桃子(永作博美)。独身を貫き、自分は恋愛や結婚に失敗したと思っている桃子は、ある日鈴木洋二(ユースケ・サンタマリア)という男と出会う。二人は意気投合しその日以降、桃子の家に洋二が来たり山でキャンプをしたり、一緒に過ごす時間が増えていった。出会って間もない二人だが桃子にとって心の拠り所となっていく洋二。しかし、洋二には桃子に隠しているある重大な秘密があった。

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むきだしになる愛を探して

劇中で桃子の台詞にこうあります。
「あっちもこっちも、全然見つからないから(略)最初から幻だったのかもしれないって思った(略)」

「幻」
①実際にはないものが、あるように
 見えること。そういうもの。
 また、存在の確認が難しいもの。
②たちまちのうちに、
 はかなく消えてしまうもの。

桃子が探していたのは、洋二です。桃子にとって洋二が幻のような存在だった、と換言できるかと思います。

で、重要なのは以下のこと。

幻 = 愛

この物語では、桃子と洋二の交流をとおして、幻と思うほどに儚い”愛”を描いているんだと考えます。

そして、この愛の儚さの実感が、愛をむきだしにする。すなわち、”愛の不在”を感じることで、”愛の存在”を知るということであります。

TVディレクターとして仕事をする桃子の様子を、繰り返される愛のない日々として描かれます。そんな桃子のもとに洋二はあらわれ、家具を修繕し、キャンプに連れ出し、仕事とは違う日々に誘います。

職場の桃子と、洋二といる桃子を対比させることで、メロドラマを描いている。と、書けないのがさすが黒沢監督作品。

どっちの場面であっても、不穏な空気感があるんですね。
・キャンプで森に赴く二人をとりまく空気感
 は映画『カリスマ』さながらの不穏さ
・メロドラマっぽい場面から唐突に
 カット割りされ映される桃子の仕事の様子
といった具合に、どっちにしても不穏。

なぜか。
”愛の不在”を示しているから。

ネタバレは避けたいので、抽象的に桃子と洋二についてをあらわすと、以下になると考えます。

社会への順応 ⇒ 桃子
社会性の欠如 ⇒ 洋二

社会性に関するベクトルの両極に位置するのが桃子と洋二。そして、両者とも”愛の不在”を感じていて、そんなふたりが対峙している。

”愛の不在”感を、上述しました”異質な世界観”とリンクして描かれているところに黒沢監督の作家性を感じます。”愛の不在”を感じるふたりの対峙の場所を、”異質な森”とし、そこをさ迷うふたりを描いている。キャンプのメロドラマから一転して、サスペンスホラーをおもわす雰囲気に化けるところ。それは上述しましたメロドラマから桃子の職場へのカットと重なります。

”異質な世界観”や”異質な森”=愛なき世界
であります。

しかし、だからこそ逆説的に、
”愛の存在”をむきだしにする
そこがこの物語の美しいところでした。

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まとめ

AMAZON ORIGINALドラマ『モダンラブ・東京』のepisode5についてをしたためました。ほかのエピソードに比してやはり異質感がありました。

さまざまな愛のカタチ、ですね。

・愛を喪失している人
・愛を求めている人
・やりきれない日常を送っている人
におすすめです。

それとepisode6で池松壮亮さんが英語をしゃべっていたのが、わたしにとっての異質。海外での活動も視野に入っているのかもしれません。でもまぁ、映画『ラストサムライ』で経験済みですよね。

池松壮亮さん、どこまでも行ってください、これからも応援しております。

ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。

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