映画『バイオハザード』神妙になる恐怖体験|ザック・クレッガー監督

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世界的に有名なCAPCOMのゲームシリーズ『バイオハザード』(洋題はResident Evil)を新たなに映画化した本作。映画『バーバリアン』『WEAPONS ウェポンズ』などを手がけたザック・クレッガーが監督・脚本を務めています。

小学生の頃から本シリーズのゲーム・映画を追ってきた筆者からしても、本作は斬新な切り口のバイオハザードだったと思いました。また、予期せぬ感慨に襲われ少し困惑したほどです。

監督の過去作にも触れながら、本作の魅力を綴っていきます。

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あらすじ

主人公は、どこにでもいる普通の配達人ブライアン。<ある医療品>をラクーンシティに届ける仕事を受けたことから人類史上最もツイてない一夜が始まる。主人公目線でリアルタイムに進行する90分間。次々に迫りくる恐怖の連続。なんの能力もない一般人にできることはただひとつ……逃げろ!果たして彼は、90分後、生き残ることができるのか?

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歴代のゲーム・映画で登場してきたクリスやジル、レオンやエイダをはじめとしたヒロイックな人物ではなく、“どこにでもいる普通の配達人”を主人公に据えている点が新しいです。クレアやイーサンでもない限り、銃火器をまともに扱える一般人がいるはずもなく、劇中では安全装置を外すのに四苦八苦したり、いきなり暴発したりと、バイオハザードの世界観にリアルな主人公を投入したら?という試みから生じるあらゆるハプニングとトラブルがつるべうちに描かれます。そのため本作は極めて現実的な恐怖を成立させた「バイオハザード」であり、死と隣り合わせの逃避行を身近に体感できるホラー映画となっています。

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作品について

シチュエーションと人物造形

ザック・クレッガー監督は、“シチュエーション”と“人物造形”をさまざまなパターンで組み合わせることで物語に娯楽性を詰め込むのがうまいと思います。過去作『バーバリアン』は、暗い地下を孕んだある家(=民泊先)を物語の中心となる舞台装置とし、およそ3名の人物がそこを巡るホラー映画です。ひとりはドキュメンタリー映画の助監督の職を得るため民泊をしにきたテス。ひとりはテスの民泊先で既に滞在していた怪しげなキース。ひとりはハリウッドで活躍する俳優であり、民泊物件のオーナーのAJ。三者三様の人物が異なる目論見、時間軸でその家の地下へと歩を進めていきます。テスとキースが散々恐れおののいた地下を、床面積の広さが売却金アップにつながると踏み、喜んでメジャーで測りはじめるAJ。この対比をテンポのよい編集でユーモラスに描いています。家の地下におりていくという共通の行動でも、ある者は怯えながら、ある者は嬉々としながら、との異なる心境をみせることが、物語展開に人物ごとの新奇性を与え、かつ多角的な解釈を見出す面白さを生んでいる。このシチュエーションに応じた多彩なアイデアや予定調和からのずらしを試みる点に、監督の作家性が見て取れます。

では、映画『バイオハザード』のシチュエーションとはどういったものだったのか。あらすじで触れたとおり、一般人がバイオハザードの世界で配達をするというもので、主人公ブライアンの逃げる姿に大半の時間を割きます。『バーバリアン』の構成を分けたうえでのストーリーテリングとは異なり、ほぼひとりの動向にフォーカスがあたる個人的で閉じた物語展開ではありますが、日本が誇る巨大IPであるバイオハザードには既存のゲーム・映画作品であらゆる“シチュエーション”を試みられてきたわけですから、今回はこう来たか……と唸れる90分でした。

※以下よりネタバレを含みます。

親近感のある恐怖の物語

バイオハザードの世界観はそのままに主人公をリアルな人物として描くということは、爽快ガンアクションや逞しく美しいキャラの放棄であり、その残骸からむくりとよじ登ってくるのは、身に覚えのある脆弱とした時間とライオンの爪牙に成す術のない皮の剥がれ落ちたシマウマにみる世界の真実そのもの。ゲームをプレイして勧善懲悪をほしいままにしてきたわたしたち、映画を観て困難を乗り越えていく主人公の勇姿に涙してきたわたしたちを嘲笑うかのように本作は、バイオハザードのファンであればあるほど期待するストーリーに逆張りをした、救いのない哀愁と納得せざるを得ない悲劇が渦巻く恐怖の物語でした。

ラクーンシティに向かう途中の雪積もる山中と広い敷地を有する家での地味でミニマムな命からがらの抵抗がとてもよかったです。横転したパトカーの周りをぐるぐるぐるぐると走る小学生さながらの追いかけっこ。家との間隔をまたいだ大きな納屋で、襲ってくるゾンビ犬に対し屋根下から梯子を投擲する格闘の凡庸ぶり。予告編でもみれますが、ブライアンが家の二階で猟銃の弾を探し出したあと、雪原の向こうから物凄いスピードでこちらのほうへ駆けてくるゾンビを窓から視認する場面は、狙撃なんてできっこないことを思ってつぎに予期される展開を彷彿として、その状況の恐怖のひろがりがなんともたまらなかったです。敷地の広さ、建物の位置と距離を的確なアングルでとらえたうえで、ブライアンとゾンビがどこにいるのかを丁寧に描写し、シチュエーションを構築する監督の手腕が今作でも遺憾なく発揮されています。

このようなシチュエーションに触れるたび、物語への没入とブライアンへの共感の醸成につながり、終盤まで積もりつづける親近感が、この映画の現実的すぎるメッセージ性をより強固なものとする伏線だったと気づく頃にはエンドクレジットがはじまっているのです。

ジル・バレンタインが大好きだから贔屓にしていたわたしが本作で思い知ったのは、幾度となく遭遇しては撃ち倒してきた“彼ら”にも人生があった、ということでした。

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おわりに

笑っていたはずが、観終えたあとは神妙な面持ちに……。珍しい映画体験でした。

ゲーム・映画を含むバイオハザードシリーズで本作と近いメッセージを扱うものとして、映画『バイオハザード: ヴェンデッタ』があげられると思いました。マリア・ゴメスの双眸がちらつく。気に入っているキャラクターだからかもしれませんが。

映画についてnoteでも書いています。
ご興味があれば、ぜひご覧ください。

ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。

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