新海誠監督作品の感想/紹介記事となります。
新海誠、この名前を知ったのが中学3年生の頃、それから10年以上たちますが、この響きは、いまでも、わたしの郷愁をかきたてます。
2022年11月11日より公開されます新海誠最新作、映画『すずむの戸締まり』を観る前にあらためて新海誠監督の映画を観返そう、という個人的な思いつきから、この記事を書きます。
”郷愁”をたいへん大切にされている作品が多いな、という変わらぬ感想をいだき、だから、やっぱり新海誠監督作品が好きなんだなぁと心の底から思いました。
時をへても変わらぬ人の”想い”についてを中心に、記していければと思います。
なお、映画『秒速5センチメートル』は、まえの記事でとりあげていますので記していません。興味のある方はこちらの記事も、よしなに。
→【映画】『秒速5センチメートル』風化する愛【新海誠監督作品】
ファンタジックで抒情的な新海誠監督のすばらしい作品の魅力を伝えるべく、書き綴っていきます、よろしくお願いいたします~。
(※おおいに執筆者の主観がまじっていることをご留意ください)
”想い”、それを阻むもの
新海誠作品には決まって人から人への
”想い”が描かれます。
「想い」
・心がその対象に向かって働くこと
・心に秘めた気持ち
・心を燃やすような心の働き
まあ、物語とはそういうものだろう、というとそうなのですが、それが濃密なんですね。で、その濃密さはどこからくるのだろうと考える、すると以下のことが浮かびました。
・孤独感からくる悲哀
物語の人物たちが浮世離れしているんですよね、それが孤独感につながっている。孤独だから、ダイアローグではなくモノローグが多い。この独白が、そこはかとない儚さや空しさとして響き渡り、人物が現実世界から疎外されているように描かれる。台詞にも「なにかを探している」的な発言がたくさん。で、その”なにか”が、”想い”の届先として描かれているんですね。孤独がデフォルトな人物だからこそ、”想い”が強調されるということであります。
・ファンタジックな阻むもの
物語では”想い”を阻むものが散見されます。宇宙、夢、テロ、異世界、死、子どもと大人、時間、距離、天災…。それが壮大であればあるほど、”想い”の脆さが際立つ。壮大さを演出できるのはアニメーションならではで、障害をファンタジーとして大胆に映せる。このファンタジックな阻むものと原風景を、リアリズムを損なうことなく混ぜ合わせているから。フィクションであるのにフィクションでない、まさに人の”想い”が表現されている。
以上、2つの要素が、人の”想い”を濃密にするのに寄与しているのではと思うんですね。
この要素に沿ったうえで、新海誠監督作品についてを記していきます。
『ほしのこえ』
ミカコとノボルの”想い”に立ち塞がりますのが宇宙、果てしないですね。
メールでやりとりをする彼らは、「宇宙と地球に切り裂かれた恋人」であります。壮大な距離と時間、この設定がまず斬新ですよね。
宇宙で異星人と対決するミカコの姿と地球で生きるノボルを交互に描くことで、二人の距離の隔たり、そして時間の経過がファンタジックに表現されています。
戦闘シーンが爽快であればあるほど、ミカコの現状が、ノボルといた中学生の時とは、変わってしまい、まったくの別物になってしまっているということを際立たせます。
ですが、それでも中学生の頃にしていただろう変わらぬ会話を、メールで努めようとする。変わらぬ”想い”を繋ぎとめようとする二人であります。
『雲のむこう、約束の場所』
わたしにとって『秒速5センチメートル』と双璧をなす『雲のむこう、約束の場所』についてはどうだったか。
ヒロキ、サユリ、タクヤの三者がメインで織りなす物語で、南北に分断された(架空の)日本が舞台。ヒロキとタクヤがヴェラシーラを創り、サユリを乗せて、ユニオンの塔へ翔ぶと約束する。
劇中、ヒロキが自身の憧れを独白します。
それが以下と解釈しています。
・サユリ ⇒ 愛
・塔 ⇒ 夢
愛や夢といった憧れも、
ヒロキが抱える”想い”でしょう。
で、今作は”変化”が丁寧に描写されます。物語中盤から3年後の三人が描かれる。そして、変わってしまっているんですね、ヒロキもサユリもタクヤも。
時間の経過にともなう変化であります『秒速5センチメートル』のテーマと重なります。
きっかけは、サユリの喪失。しばしば、新海監督作品では、喪失や忘却といったモチーフが多用されているように思います。もちろんそれらが、”想い”を阻むものであり、孤独をもたらす儚さです。
ヒロキの”孤独”を「メソメソするな」的に言って聞かせる3年後タクヤの存在が、より悲哀に拍車をかけます。それでも、ヒロキはサユリのようにヴァイオリンを弾くのです。
いくら変化しようとも、想いは変わらない、思い出は残るのです。
『星を追う子ども』
新海誠監督作品のなかでは、毛色の違う印象をうける今作。ファンタジーに一番振り切っているんですね。現実にファンタジーが流入する世界観ではなく、ファンタジーという異世界にそのまま人物が入りこんだ感じ。
この世界観にしたのは、想いを阻むもの⇒”死”としたからなのかなあと思います。死を扱うためには突拍子もない世界観をはじめから設定しておこうといった感じでしょうか。
舞台となるアガルタは”死”が漂う世界、アスナとモリサキがそこを旅をする。二人は大切な人の”死”を経験し生きる者として存在しており、そして…
生者と死者との距離に苛まれている。
死をおも超越したいと願うふたりの”想い”であります。
『言の葉の庭』
リアリズムが色濃い作品が『言の葉の庭』。なかでもファンタジー要素が極めて少ない物語です。
主要人物は15歳のタカオと27歳のユキノ、学生と教師という立場の二人であります。舞台は新宿御苑、アガルタから遠くへ来たものです。
そして、二人の間にあるものとは…
子どもと大人の距離・時間であります。
靴職人を目指すタカオは専門学校への”想い”を抱いています。子どもの過渡期でありますね、それも他の生徒と比べて生き急いでいる。そんなタカオの台詞に「あの人にとって、15の俺はただのガキだということ」とあります。
あの人とはユキノのことです。
タカオはこの自負から、伝えたい”想い”を伝えることのできないもどかしさと直面するのです。”大人の世界”とのギャップに、学生タカオの気分は驟雨のごとき激しさに揺さぶられるのです。
『君の名は。』
前作の反動からか、『君の名は。』はファンタジー要素のてんこ盛りって感じです。主人公のタキとミツハが、怒涛のようにそれを経験するのは観ていて楽しいですね。
・魂の入れ替わり
・タイムリープ
・ティザスター
あらゆるファンタジックを総動員していて、かつ絵が超リアルだからアニメーションならではの表現に脱帽しました。
ですが、わたしにとっては今作から新海誠監督作品が遠くへ行ってしまったような気持ちになったことは否めません、ここから人気に火がついちゃいましたしね、淋しい、というのも新海誠監督作品の”想い”というのはもっとささやかなものだったからです、その素朴さからなる純粋な”想い”の儚さに感動できていたのに、なんだかさハリウッド映画みたいになっちゃったものだから、しかも物語が他会社とタイアップしちゃってるし、天門さ…
御託はここまでにします、すいません。
天災という要素を物語に入れることで、「糸守町」という場所そのものを忘却の危機に晒します。変わりゆく街並みというのは、あなたにも身に覚えがあることかと思います、もの悲しい感じ。
この物語は、忘却に脅かされる人の”想い”が描かれていて、文字通りそれを崩壊させること、すなわち”想い”の喪失の儚さが表現されている。
記憶というものは時間の経過に伴い良くも悪くも消えていくもの。時間の濁流に押し流されぬための君の名、であります。
『天気の子』
学生のホダカとヒナを主人公に迎えて描く
この物語における、”想い”を阻むものは…
・子どもと大人の溝
・ティザスター
であります。
これまでの文脈でいうと『言の葉の庭』×『君の名は』って感じでしょうか。
”天気” = 人間と世界の心のうつろい
という解釈をしております。
天気のように激しく大胆にうつろう人間の心の葛藤が描かれる。
で、この作品でわたしが思いましたのが、新海誠監督は、たいへん”「人間の」創造物”を大切にされている方なのかもな、ということ。この物語でも、オカルト雑誌、伝説、それに”想い”ですね。自然科学で説明ができてしまうであろう事象を、様々な人が、様々なかたちで創造してきた事実・歴史。そうしたロマンを大切にしている特徴を感じます、まあ物語の創作だから、そりゃそうだろですけどね。
ただ、大胆に「天気なんて狂ったままでいい」と言わせるあたり。人の”想い”を大切にしているからですよね。
郷愁=”想い”の証拠
人の”想い”を繊細にそれでいてダイナミックに表現する新海誠作品についてを記してきました。
ここで”想い”を象るために大切なもう一つの言葉を提示します。それが、”郷愁”です。『君の名は。』では、この名前の展示会が登場しておりました。それだけでなく、新海誠作品には、郷愁すなわち、懐かしさを思慕する人物が多く登場します。
わたしは、これが好きなんです。
古いCMとか見ると感じるあれです。
散歩していると急に襲われるあれです。
ある映画のセリフでは「傷跡は『過去が現実だった』という印だ」というものがあります。その精神バージョンが”懐かしさ”なのだと思います、「郷愁は『過去が現実だった』という印だ」であります。
『ほしのこえ』
→ 終盤”郷愁”を語らうミカコとノボルの時空を超えたダイアローグが白眉
『雲のむこう、約束の場所』
→ 3年後ヒロキが避け続けたユニオンの塔、そしてヴェラシーラ
『星を追う子ども』
→ モリサキが持ち続けたオルゴール
『言の葉の庭』
→ タカオがユキノのために創った靴を、新宿御苑の東屋に残します
『君の名は。』
→ 「糸守町」という町そのもの、そして、タキが身につけ続けた組紐
『天気の子』
→ 雨という気象にさえも郷愁を抱くホダカであります、彼にとって雨はヒナ
あらゆる懐かしさがあって、それを感じているという事実。”郷愁”の実感が、”想い”が確かにあったという確証を与える。だからこそ、儚く、愛おしい。
どんなに愛おしいものであっても、儚くも変化してゆく。この無情は、このブログの多くの記事で記してきたことであります。
変わりゆく人の”想い”を、せめて”郷愁”に留めようとする
そんな姿勢を新海誠作品には感じます。
で、そのアンサー的な展開として『雲のむこう、約束の場所』でのラストがあります。「これから全部、また」と、ヒロキがサユリに言うのです、そして楽曲『きみのこえ』が流れる。
控えめに言って最高です。
”これまで”を引き受けて、
”これから”にひらかれる。
”郷愁”を抱いたまま、”想い”を創り続ければいいのです。
まとめ
わたしの青春、新海誠監督作品をとりあげました。ほんとうに大好きな映画監督です。
人の”想い”を象る”郷愁”の、あの感じを大切にする物語が美しい。
これからも素敵な物語を創ってくれることを願っています。
リアリズム路線にたまには戻ってほしい…御託。
・繊細な人
・恋愛にロマンを感じる人
・優しい気持ちになりたい人
におすすめです。
ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。
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