【映画】『秒速5センチメートル』風化する愛【新海誠監督作品】

(C)Makoto Shinkai / CoMix Wave Films

新海誠監督作品『秒速5センチメートル』の感想/紹介記事となります。

2022.11.11に最新作『すずめの戸締まり』が公開予定です、すごく楽しみですね。
旅人的な男性が気になります。『星を追う子ども』のシュンを思わせるような中性的な顔立ち。
秘密ありげで孤独。新海誠作品にはそうした孤高な人がおおく登場する気がします。

世俗的なものとはすこし距離を感じる人物。わたしが新海誠作品が好きなのは、そんな人物に魅了されるからであります。

この記事で紹介します遠野貴樹もその一人。

貴樹の”想い”に注目して『秒速5センチメートル』を考えていきたいと思います。

(※ネタバレを含みます、おおいに執筆者の主観がまじっていることをご留意ください)

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(音声はこちら→『秒速5センチメートル』風化する愛

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あらすじ・解説

ひかれあっていた男女の時間と距離による変化を全3話の短編で描いた連作アニメーション。互いに思いあっていた貴樹と明里は、小学校卒業と同時に明里の引越しで離ればなれになってしまう。中学生になり、明里からの手紙が届いたことをきっかけに、貴樹は明里に会いにいくことを決意する(第1話「桜花抄」)。やがて貴樹も中学の半ばで東京から引越し、遠く離れた鹿児島の離島で高校生生活を送っていた。同級生の花苗は、ほかの人とはどこか違う貴樹をずっと思い続けていたが……(第2話「コスモナウト」)。社会人になり、東京でSEとして働く貴樹。付き合った女性とも心を通わせることができず別れてしまい、やがて会社も辞めてしまう。季節がめぐり春が訪れると、貴樹は道端である女性に気づく(第3話「秒速5センチメートル」)。

引用:映画.com

抒情的なモノローグがおおいです。

1話 桜花抄
→貴樹の明里への想い明里の貴樹への想い
2話 コスモナウト
→花苗の貴樹への想い
3話 秒速5センチメートル
→貴樹の想い、明里の想い
と分けられます。

相手なしで語られる独白、物語が対話ではなく独白によって紡がれていることが、無慈悲な時間と距離の儚さをより際立たせているように思います。

それだけに小学生の頃の、貴樹と明里の直接的な交流が、尊く思い出される。時間に悪意を感じるのは、貴樹が明里を愛していたからだ。

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時間 VS 愛

この作品では、主人公、遠野貴樹の”想い”の移ろいを…
小学生・中学生(桜花抄)
→高校生(コスモナウト)
→社会人(秒速5センチメートル)
の各パートであらわすことで、時間のために風化する愛が描かれていると思います。

そこに時間の無慈悲と、愛の尊さをみます。

小学生の貴樹は、一途に明里のことを想い、明里との時間を存分に共有できています。

前回取り上げた『海がきこえる』。
(あわせて読んでほしい記事→【ジブリ作品】『海がきこえる』自分の意思をとりもどす
この物語の主人公である高校生の杜崎拓は、自分の想いに蓋をして周りにあわせて生きる受け身な人物として描かれており、そこから、物語がすすみ、そのことを自覚し、自分の想いを大切にしはじめるという展開でした。

その点を比較すると、遠野貴樹はすごい。小学生のころには既に、自分の想いを自覚し、ちゃんと行動にうつせているからです。冷やかされようと、自分の想いを大切にして、明里への愛ある行動ができている。

自分の想いを自覚した立派な遠野貴樹でございます。拓と執筆者は、貴樹を見習わなければいけません。

しかし、本作ではその”想い”の変化が描かれた物語なのです。
『海がきこえる』
→杜崎拓が想いに気づくまでの物語
『秒速5センチメートル』
遠野貴樹の想いが変化してゆく物語
と整理することができるかと思います。

無慈悲にも変化して”しまう”想いです。その要因が時間距離にある、そこが本作で強調されているポイントだと思います。物語上で、時間や距離のモチーフになるものが散見されます。
・季節
・時計
・路線
・踏切
・徒歩とスクーター
・東京、栃木、鹿児島
などですね。

小学生の貴樹と明里を遮る踏切や中学生の貴樹が明里に会うための東京から栃木までの永く冷たい道のりは、いくら強い想いがあっても、時間や距離の茫漠とした圧力に押しつぶされそうになる。…ということをあらわしているように思います。

けれど、だからこそ、貴樹と明里は”手紙”をおくる。手紙はモノローグからダイアローグへと移行させようとする試み。

想いを愛に留めようとする試み…だった。

栃木での桜と雪に包まれた貴樹と明里の口づけは、時間に抗う束の間の逆襲…だった。

しかし、儚くも時間という濁流に想いと手紙は流される。

高校生の貴樹は、まよい、あぐね、
社会人の貴樹は、もう、ぼろぼろです。

「かつて、あれほどまでに真剣で切実だった想いがきれいに失われていることに僕は気づき(略)」

引用:『秒速5センチメートル』遠野貴樹のモノローグ

これは、3話 秒速5センチメートル での社会人貴樹のモノローグです。”真剣で切実だった想い”とは、1話 桜花抄 において小・中学生貴樹のモノローグで語られていたことでしょう。

遠野貴樹の一途な想い、すなわち明里への愛が、時間に敗北したということ。

3話はこれまでの1・2話と違い「貴樹→明里」「花苗→貴樹」の一方的なモノローグではなく、貴樹と明里それぞれが同時に独白しています。
貴樹→悲観的
明里→過去形
この対比が、ふたりの今の心境と、惰性変化を際立たせます。電車が過ぎ去るのをみるまでもなく、そのさきに明里がいないことはわかっていたということですね。

貴樹の愛は、時間に敗北しました。
しかし、
時間の勝利は変化の肯定であるということ。
また、
変化するから、愛が尊いのだということも、
貴樹はきっと気づいたのでしょう。

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まとめ

過去から脱するということは、自由と変化の肯定である。という着地を、今作もしていると思います。

ヨアキム・トリアー監督の映画『わたしは最悪。』と重なります。
あわせて読んでほしい記事→『わたしは最悪。』変化するわたし、最悪?【ヨアキム・トリアー監督】

変化することで、一貫していたものがより愛せるようになるのかもしれません。

・切ないラブストーリーが好きな人
・変化したい人
・愛について考えたい人
におすすめです。

ここまで読んでいただき、
ありがとうございました。

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