【映画】『パリ、テキサス』特別な人【ヴィム・ヴェンダース監督作品】

(C)Wim Wenders Stiftung 2014

特別な人はいる。

混沌とした世界で、物語のための場所を
一緒に探したいと思えるような人。
かまびすしい言葉の嵐のなかで、
静謐を蹂躙されまいと必死に生きる人。

映画『パリ、テキサス』のジェーン。
「静かな気分って好きよ」と口にする彼女は
紛れもなく特別な人であり、とても美しい。

映画は大きく3つのパートに分けられる。
①つは、トラヴィスの捜索。
②つ目は、トラヴィスとハンターの親睦。
③つ目は、トラヴィスとジェーンの再会。

とりわけ魅力的なのが③つ目のパート、
マジックミラーに隔たれたトラヴィスと
ジェーンが対話をする時間だ。
この時間に向けて、この時間のために、
①②があったと思える。

なぜなら、
自分のことを黙秘するトラヴィスが、
多くを語るシーンが③パート目にあり、
物語をけん引してきた謎が、
一気に紐解かれていくからだ。

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君と話がしたいから

「遠くに行きたいと思った。誰も自分を知らぬ深く広い所。言葉もない所。」

荒野を放浪するトラヴィス。
スーツ姿に赤い帽子。毛むくじゃらの髭を
たくわえ、あべこべな様相をした男。

町から遠く離れ、言葉を必要としない
荒野を、ただひたすら歩き続けている。

社会の軋轢。家族の不和。自信の喪失。
誰も知らない場所に行きたいという願望を
つくりだす理由は、なんだってありだ。

しかし、
拒絶が接触からはじまるように、
別離が不滅を思い起こすように、
記憶が永遠の物語を紡ぐように、
忘れられない人はいる。

記憶の断片をつなげる白昼夢。
思い思いに過去を改ざんする行為で、
いまだ指に残る在りし日の恋人の芳香に、
身を委ねることに愉悦を覚える者がいる。

しかし、
妄想は絶えず日常の脅威に晒され、
現実の磁場が生みだす吸引力は、
甘美なユニバースを一つへと
収斂させてしまう。

孤独のための抵抗は、簡単に終わる。

なぜなら、
君と話がしたいから。

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日常になることを望まぬ物語

「私は見えないけど、あなたからは見える。」

ショーウィンドーに閉ざされ、
誰からも触られることも触ることも
できない空間にて孤独を晒す、
ピンクのニットに身を包んだ女。

長い間、ある決意のもと、その場に留まる
ことを選び、苦悩と葛藤を一身に引き受け
艶めかしい醜態を反射し続ける人生。
俗世間のなかで肉体を露わにしながらも、
心に重たい甲冑を纏うジェーン。

日常になることを望まぬ物語がある。

自分のためにだけ用意された伏し目がちの
微笑みや、一心不乱に注がれる嘘のように
美しいまなざし。それら断片が紡ぐ物語。
もしくはそれは、呆れるほど不甲斐ない
あの頃に出会った、心を微塵切りにする
あいつの顔かもしれない。

日常とは相容れない物語が、
あらゆる時間軸をつくりだし、
一直線上に進んでいた日常に、
累々たる可能性を孕んだ分岐
をもたらしていく。

しかし、
その場所では養いきれない揺蕩う
心の在り様を湛えたジェーンは、
そんな物語を否定する。
たとえそれが、愛息子ハンターとの
日常と重なるものであったとしても。

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忘れるよりも、失い続けることを選ぶ物語

特別な人はいる。琥珀色に包まれながら、まどろみの一頁をめくり続けたいと思える人。夜のしじまを横溢する熾烈な脈動。視界を奪い去る微笑み。日常で生じる事象と心象のすべてが、円環の物語の一部に取り込まれていくような人生をともに送りたいと願う人。世界を、二人だけの逍遥の舞台に染め上げてしまうような人。自分の命より愛する人だ。

トラヴィスとジェーンの再会。
忘却と喪失を確認し合い、
憤怒と悲哀に身をまかせ、
贖罪と告白をめぐる時間。

かつて、愛し愛された記憶を
再び呼び戻すようにトラヴィスは、
一言一言に切なる思いをのせて語る。
ジェーンとハンターが出会いなおす
ことができるユニバースを願いながら。

映画『パリ、テキサス』は、
孤独が領する日常において、
愛していた人への記憶に絶えず
立ち戻ろうとする物語だ。

忘れるよりも、
失い続けることを
選ぶ物語だ。

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